白花




「よぉ大将。」
遠目からでも誰かひとめで分かる特徴的な赤のコートに、太陽の光を吸い込んだような柔らかい金糸の三つ編。
そして何より、同年代の少年よりも一回り以上も小さいその体躯。
「あ、少尉。」
声に反応して振り向いたのは、鋼の錬金術師ことエドワード=エルリックである。
「・・相変わらずちっさいなぁ」
「・・ちっさいいうな!!!」
くりくりしたおっきな金目が、下から睨み上げてくる。
「久しぶりだなー。今日はどした?」
以前はひょっこりとよく司令部に顔をだしていたのに、ここしばらくはその姿を見せていなかった。
エルリック兄弟が行くとこ行くとこ問題を起こしてくるのも事実だが、それに比例してその場が明るくなることも事実である。
そのためかここ最近の司令部内は、常にしんと静まり返っていた。
「う・・・ん・・これ・・」
そう言って差し出されたのは、前回の騒動での報告書。
「?・・大佐なら執務室にいるだろ」
その言葉に一瞬ぴくりと小さく反応したような気がしたが、
「ごめん・・アルが待ってるからもう行かないと・・。これ、渡しといて」
少し困ったように笑いながら自分に書類を押し付けて、そのまま足早に走り去ってしまった。
「・・・・・なんだぁ・・?一体」

もしかしたらこの頃からどこか、違和感を感じていたのかもしれない。




次にエドワードを見かけたのはその一週間後。
街中で偶然、弟と一緒にいるところに出くわした。
あれから音沙汰がなかったから、てっきりもう旅立ってしまっているのかと思っていたのに。
まだ街にいたのかと軽く声をかける。
こちらを確認して、一瞬凍りついたような表情を見せたのは何だったのだろう・・。
自分は仕事で大佐と一緒にいたが、これまた二人とも妙な雰囲気だった。
会ってから一言も言葉を交わさないし、視線すら合わせようとしない。
挙句、大佐はその場から急に立ち去ってしまうし、エドワードの方はエドワードの方で、今にも泣きだしそうなほど傷ついた表情をしていた。
大佐の後を追って、帰路につきながらも、いつも通りに話せばいいのに、と思ったのを覚えている。
以前はあんなに笑い声に溢れた執務室が、今では苦虫を噛み潰したような顔で規則的に動くペンの音だけが響いていた。




そして今日。
それからもう一週間が過ぎようとしていた。


「うー・・・さみぃな・・ちくしょう・・」
こんな日に残業だなどと本当についてないと終わった仕事に愚痴をこぼしながら
ざーざーと雨が降りしきる中を、傘を傾けながら歩き出す。
街の明かりはすでになく、暗闇が辺りを包みこみ、ただ雨の音だけが耳に残った。
しばらくして、こんな日には見つけたくないだろうものを見つけてしまう。
司令部の門前に、ぽつんと、傘も差さずに立ち竦む彼の姿を。
「っ・・・大将!・・・何してんだっ」
慌てて駆け寄ってみれば、その金糸からは常に水滴が滴り、蒼白になった肌に色を失った唇がかたかたと小刻みに震えていた。
すでに冷え切った身体は、一体いつからこの雨に当たっていたのか。
「こんな夜に傘も差さずに・・とにかく中入れ。着替えぐらいは・・っ」
そう言うよりも前に、力なく崩れ落ちた身体をとっさに腕の中に支えた。
「おい!しっかりしろ・・すぐ軍医に・・」
言うより先に拒絶の言葉が聞こえた。軍部内には入りたくない。と。
どうにも仕方がないのでそのまま抱えるように、近所の病院へ向かった。
「急患なんだ」
軍の人間がシティの病院へ来ていること自体おかしいことだったがこの際四の五の言っていられなかった。
たたき起こした受付にそう伝えて、すぐに診てもらえるよう依頼した。
白いベッドに寝かされたエドワードは、点滴をつけたままその瞳を閉じている。どうやら眠っているようで幸いなことに肺炎の一歩手前ですみ、何とか大丈夫だとのことでほっと一安心した。

問題はその後だ。


大事な話が、と医師に言われ病室を後にする。
一体何事かと、扉を閉めたその廊下で
「彼女は妊娠しています」
と、短く告げられた。
その意味を理解するまでにしばらく時間を有したことは言うまでもなく、
まず第一に“誰”が「彼女」で、何故「妊娠」なのか。
あまりに突飛な医師の言葉に思わず
「・・・・せんせい・・・なんの冗談です?」
と聞き返さずにはいられないほどであった。
だが問われた医師も動じずに、
「病室で眠っている患者に決まっているでしょう」
と答えた。
(・・・・病室で眠っている患者って・・・・・)
そこでようやくここしばらくの間、エドワードの様子がどこかおかしかったその違和感の謎が解けた気がした。
そして。
・・・・相手が誰なのかも。

「・・・・このことはどうか内密に・・」
医師にそうお願いして、また病室へ戻る。
今ここで、エドワードに伝えるべきか否か。
いずれ分かることだろうけれど、今の彼(いや彼女?)の状態にこの事実はあまりにも重いかもしれないと考えたからだ。
「あー・・・どうっすっかなー・・・」
はーっと深くため息を零して、困ったようにがしがしと頭を掻いた。
「・・・ょう・・・い・・」
布団を被ったエドワードがもぞもぞと身動きしながらこちらへ顔を向ける。
「あっ・・気ぃついたか。・・大事が無くてよかったな」
安心させるように、その頭を優しくなでてやる。
「少尉・・ごめんね・・・・・ありがと・・・」
「ん?」
「はなし・・聞こえた・・・・から・・」
本当に小さく、掠れるような声でぽつりと。
「そっ・・か・・・」
「俺のこと、誰にも・・言わないで・・・・。・・アルにも・・お願い・・・します」
言うなと言われれば言わないけれど、それ以上にこのことを知ったエドワードの落ち着きようがあまりにも意外だった。もしかして・・
「・・・知ってた・・のか?」
自分が妊娠しているのではないかと。
「・・・・・はっきりと・・じゃないけど・・・なんとなく・・・。」
身体のどこかが違う。ずっとそう感じていた。
「・・・相手・・には?」
その言葉を聞いてようやくびくりと、驚いたような怖がっているようなそんな表情をおもてに見せた。
やがて何かを諦めるようにゆっくりと瞳を閉じて、しずかに横に首を振った。
「伝える気はない・・・よ」
「っって・・どうする気、だ・・・?まさか・・・」
このことを知ってから、自分だったら一番聞きたくない答えだった。



「・・このまま堕ろす、から」