向日葵
「ぐっ……」
キィンと鋭い音を立てて互いの刃がぶつかり合う重みに、腕から鈍く響いてくるその振動に元就は反射的に眉を顰めた。
過日の戦で不覚にも受けることになった腹の傷がじくじくと痛み出す。
(我としたことが……)
けれどたった今目の前に相対しているこの男にだけは絶対に気付かれるわけにはいかなかった。
これまで幾度となく刃を交えてきた相手だからこそ、情けをかけられることなど到底許せるはずもなく。
それこそなんという耐え難い屈辱か。
しかしそうは思っていても、力任せに繰り出される斬撃を輪刀で受け流す度に身体中が軋むような悲鳴をあげているのが分かる。
(………この、馬鹿力めが!)
内心毒づいては攻撃を避けて後ろへと跳躍する。
瀬戸海の船の上、船首のへりの方へ追い詰められるも相手を睨みつけるその構えは崩さない。
荒い息と、嫌な汗が頬を伝う。
「おら、どうした。もう逃げ場はねぇぞ?」
まっすぐに自分に向けられる碇槍の切っ先を忌々しく睨みつけながら、次に予想する斬撃を受け流そうと輪刀を構えてその身を翻した、瞬間。
立っていた足場にドォオンという轟音と共に思わず身が揺らぐほどの衝撃が走る。
「……っ!なんぞ」
どうやら乗っていた船に、陸からの砲撃が命中したようだった。
(忌々しい……!)
激しい波しぶきと爆炎を、縦横無尽に吹きあげながらぐらぐらと船体が揺らぐ。
「おーおー、派手だねぇ」
まるでピューっと口笛を吹くかのような仕草で、元親がそう揶揄する。
普段であればどうということはないが、今はその振動にすら鈍い痛みを返してくる。
思うように動かないこの身が恨めしい。
元就の身体がわずかによろめいたところを見定めたかの如く、振りおろされた斬撃がその身を襲った。
「くっ……」
けれど寸でのところで手にある輪刀ではじき返して、すぐさま後ろへ飛ぶ。
いくらか無理な体勢で動いたせいか、着地時に若干足元がよろめいた。
「……っ!」
絶えることなく軋み白煙と轟音がそこかしこで噴出する。足元も船体もひと際大きくぐらりと傾いた。
その、刹那。
着地時にバランスを崩したせいで、元就は揺れ動く船の勢いのまま元親と対峙した状態で背中から落ちるように海に投げ出された。
(………っ迂闊)
「………毛利っ!」
武将と言えども所詮人の子。
船から放り出されれば、重力に従って海の中へ落ちるしかない。
まるでコマ送りのように落下していく姿を目に捉えて、元親が思わず咄嗟に伸ばした手は、わずかに届かなかった。
(………落ちる……っ)
ドボンという音と共に海中に沈んでいく様子を見て、何故だろうか。
先程までは刃を交えていたはずの相手なのに、碇槍を甲板に突き刺し気がつけば自分も海中に飛び込んでいた。
「「アニキ……っ!!」」
「「元就様!!」」
双方の軍から、それぞれの安否を気遣う声がいくつも上がる。
ふたりを飲み込んでしんと静まりかえった海面。
その場に残されたのは、猛々しく突き立てられた碇槍と、放り投げられた輪刀。
両軍の兵士が互いに慌ただしく動き始める。
早くお助けしろ!だの、今が攻める好機だ!だの、指揮系統がどっと混乱したせいで、その場が一時騒然となった。
何せなんの指示もなく、大将がふたり揃って戦場から忽然と姿を隠したのだ。
一体誰に想像出来たであろうか。
まとわりつく海水にもがく様子もなく真っ逆さまに薄暗い海中に沈んでいくその姿を追う。
海に落ちた時の衝撃で、意識が無いのかもしれなかった。
瀬戸海は一見穏やかそうに見えても中では渦を巻いている箇所もある。
海面上は変わらなくとも潮の流れが驚く程に早くなっていて、けれど海を渡る海賊である自分らには逆にそれが好都合であったからこその進軍だったのだ。
(……くそっ)
海中に沈みこんでいくその身体を追いかけて、何故自分までも飛び込んでしまったのか己の事ながら訳が分からなかった。
ようやく掴んだ身体を引き寄せて、両手の具足をはずす。兜はとうに海中に沈んでいた。
こんな重りがあっては浮き上がるものも浮き上がらない。背に三結びにされている飾り紐をほどいて海中に投げ捨てた。
元就の身体を腕に抱えたまま海面を目指す。やけにおとなしいので、されるがままになっているその顔を覗きこめば、やはり意識がないのかぐったりとしていた。
(……これ、やべぇかも…………)
嫌な予感が脳裏をよぎりつつ、海面に顔を出して外の空気を思いっきり吸い込んだ。
思ったとおり潮の流れに相当流されてしまったのか、戦場からは少し離れた海岸沿いに出たようだった。遠くで砲筒の音が威嚇のようにびりびりと響いている。
(大将ふたり、海にドボンじゃしばらく休戦だろうな……)
そんなことを考えつつ、腕に抱えた元就の身体を浜辺に横たわせるように降ろしてやる。
「毛利?……おい」
顔面蒼白になってしまったその頬をぺちぺちと叩きながら呼びかけてみるが、意識が戻る気配がない。
先程も思った嫌な予感に、口元に耳を寄せる。
「…………息、してねぇ」
もがいて暴れなかっただけ無駄に海水は飲んでいないようだったが、その呼吸が止まってしまっている。
「…………」
おそらく今なら、まだ間に合う。
色を失った唇に己の息を吹き込めば、程なくしてその呼吸を取り戻すことだろう。
けれどそれは、先程まで相対していた敵軍の総大将を自らの手で助けることになる。
「仕方ねぇなぁ……」
濡れそぼった髪をがしがしと掻きながら、息の止まってしまったその顎を持ちあげる。
ここで見捨てるようならば、もとより海中に飛び込んだりはしなかったはず。
考えるよりも先に身体が動いてしまったのだから仕方ない。
何より、こんな形で目の前で死なれるのも面白くないと思っている自分がいることも確かで。
(まぁ俺に助けられたと知ったら、すげぇ怒るかもしれねぇけどなぁ……)
敵に情けをかけられるを良しとしない。むしろ煩わしいとさえ思うかもしれない。
そういう人物なのだ。氷の面と謳われる毛利元就という武将は。
すぅーっと大きく外気を取り込んで、一息に肺に向けて吹きこんでやる。
「………」
合わせた唇のあまりの冷たさに、ゾッとする思いがした。
こんな時代だけれど、人が死ぬのを見るのはいつまで経っても慣れることはない。出来ることなら生きて欲しいと願う。
自らが先陣に立って、武器を振るう立場にある自分には言えた義理ではないが。
けれど皆が平和な世を願っている。所詮綺麗事かもしれないがその理想を胸に戦っているのだと、そう信じたかった。
「……っ」
規則的に何度か繰り返すうちに、吹きこまれる酸素に呼応してかひくりと胸が上下に反応を返した。
「う……っぐ!……ごほっ…ごほっ………か…っは」
どうやら自力呼吸を取り戻したようで、肺に入った海水を吐き出そうとして苦しげに咳き込みはじめた。
「おい、毛利。……大丈夫か?」
やはり早々に意識を手放したせいか、そこまで海水は飲んでいないようだ。
息を継ぐ苦しそうなその背中を、腕に抱き起こして擦ってやる。
「………?!……きっ……さま」
息苦しさに目尻にうっすらと涙を浮かべながら荒い呼吸を整えていた元就が、今置かれている状況を理解してかその目つきが一層険しいものに変わる。
今まで死の淵を彷徨っていた人間の眼光とは到底思えない、突き刺さるようなその鋭さに思わず息を呑んだ。
「我に、触れるなっ!」
支えている腕をバシッと払いのけて、無理やりに身体を起こして後ずさる。
足元がぐらぐらして、頭もぼぅっとしてはいるけれど、きっと歩けない程ではないはずだ。
(この程度で敵に借りを作るなど、なんと無様な……)
相手の姿を眼に捉えたまま、己の失態にキリッと唇の端を噛みしめる。
腹の傷がどくんどくんと熱を持って、鈍い痛みを響かせている。もしかしたら傷口が開いたかもしれない。
そんな思考が脳裏をよぎった。
「おいアンタ、あんま無茶すんなよ……。ついさっきまで息止まってたんだぞ?」
まるで手負いの獣のようだ。傷ついて消耗しているのに毛を逆立てたまま警戒心が抜けない。
顔面蒼白で、額には脂汗が浮かんでいるように見える。そうして立っているのもきっと辛いだろうに。
「……息……が?」
長曾我部の口から放たれた言葉に、驚きを隠せない。
息が止まってしまっていた自分は、一体どうやって呼吸を取り戻したのだろう。
うっすらと己の唇に残る感触と、辿り着いた答えにサーっと血の気が引いていく気がした。
「まさか………貴様……」
「しょうがねぇだろうよ。…………アンタ息止まってたし………」
大げさに両手を広げて、あれは不可抗力だと主張する。
「なんと愚劣なっ………!」
「愚劣って、おい……」
半ば予想通りの答えではあるが、これはこれであんまりではないかとも思う。
見れば青いのか赤いのか分からないような複雑な顔色で、ごしごしと自らの口元をこすっている。
(……やっぱ助けるんじゃなかった…………)
自らの取った行動を悔いるかのように、額に手を押し当ててはっーっと大きくため息をついた。
「………貴様、何故我を助けた」
「ああ?」
「息が止まっていたのなら、首を獲る絶好の機会であっただろうに」
次はもうないかもしれぬのだぞ?と嫌な皮肉が聞こえる。
「あー………まぁ、武器置いてきちまったしなぁ」
けれど例えもしこの場に碇槍があったとしても、きっと自分は彼の事を助けたに違いないと思う。
自らが全力を出してぶつかり合うことの出来る相手。
そう認めているからこそ、目の前で勝手に死んでいくのが許せなかったのかもしれない。
「……俺ぁアンタの腕を買ってんだ。無様な死に方だけはよしてくれよ」
「その為に貴様も海へ飛び込んだと言うか。…………まったく酔狂な鬼よ……」
自分には理解出来ないと言った風で、呆れた表情が見てとれた。
しかしそれ以上に足元も覚束ない元就のその様子に、どこか違和感を覚える。
呼吸が戻ってからもうそれなりの時間が経っているはずなのだ。
「まぁアンタもその状態じゃ、今すぐ戦うなんて無理だろ。しばらく休戦といこうぜ」
「…………致し方、あるまい。………この借りは必ず返す。何が望みぞ」
いまだ苦しげに眉根を寄せて荒い呼吸を繰り返しながら、眼光だけは鋭いままで毅然と睨み返してくる。
「望み、ねぇ……」
別に見返りが欲しくて助けたわけではないのだから、急にそんなことを言われても思いつくはずもない。
うーんと頭を捻りつつ、そう言えば制作中のカラクリの軍資金が底をつきそうなのを思い出した。
そのことを口にしようと、元就へと視線を移す。
「………っおい!」
その姿を眼に映して驚いた。
先程よりも明らかに顔色は悪化しているし、頬を伝う脂汗の量も尋常じゃない。
慌てて近づくと、びくりと身体を強張らせて後ろに下がろうとして、足元に力が入らないのかそのまま崩れ落ちた。
「しっかりしろ、おい!」
力の入ってないその細い身体を腕に抱きとめて声をかけるが返答がない。
横抱きに腕の中に抱え上げれば、ぐったりと意識はとうに無く、触れた身体は驚くほどに冷たかった。
「チッ……」
短く舌打ちして、辺りにどこか休めそうなところはないか見回す。
すぐ先に良さそうな洞穴を見つけやり、足早に歩きだした。
「一体何だってんだ…………ちくしょう」