向日葵2




岩壁を背に腕の中でぐったりとした元就の身体を降ろしてやる。
先程から何度か呼びかけてはいるが意識が戻る様子がない。

(…息は、してるか……)

呼吸は確認出来たが、その顔色の悪さといい何処か腑に落ちない。
普段ならば淡々とした表情で平然と己の斬撃を切りかえしてくる。
それが今日はどうだ。
輪刀で受け流すのが精一杯といった感じで、反撃に至ってはほとんど見られなかった。

(……らしくねぇ…)

そんなことをぼんやりと頭の隅で考えながら視線を移す。
色を失った頬に唇。常に口元からは辛そうな吐息が零れる。
きつく眉根を寄せて、伏せられた長い睫毛がその表情に濃く陰影を作り出していた。
眼前の敵を射殺すほどの、鋭さを湛える瞳が閉じられている分、どこかあどけなく見える。

(綺麗な顔してんだな、こいつ…)

具足をはずした姿は初めて見るが、思っていた以上に小さい。いっそ頼りない程だ。
これが今まで己と対等、むしろ有利にいくさ場で渡り合ってきた相手とは。
こんな細腕で良く自分の斬撃を受け止められるものだと、逆に感心してしまう。

「…寒い、のか?」

海に落ちたせいか、その細い身体はカタカタと小刻みに震えていた。濡れた髪からは絶えず海水が滴り落ちる。
このまま濡れた服を着て居ては、益々体温を奪っていってしまうだろう。
海岸沿いであるために火をくべる物も何もないのだから。

「あー…」

今のこの状況で身体を温める術など、思いつく限り一つしかない。
ただ先程の反応をみていると、今度こそ何を言われるか分かったものじゃないが。
元就の服の合わせにかけた指が止まる。その考えが一瞬元親を躊躇させた。

(背に腹は代えられねぇだろうよ…!)

ある意味自分にも言い聞かせて、覚悟を決めるかのごとく己の濡れた上着を放り投げる。
元就の上着を脱がそうと前を開いて、その光景に絶句した。
さらしが巻かれてはいるが、左胸の下からわき腹にかけて赤黒く滲んだ、鮮血。
おそらく先程遣り合った際に傷口が開いたのだろう。こんな状態でよくあんな気丈に振る舞えるものだ。
脂汗の滲む額に手を当てれば、傷口の痛みからかじんわりと熱を伝えてくる。
自分らが仕掛ける前にも近隣の勢力との小競り合いがあったことは確認していた。
連戦での消耗を狙っての奇襲ではあったが、元親の読みはある意味当たっていたということである。

(チッ…)

まさかここまでひどい怪我を負っているとは思っていなかったから、予想外の事態に舌打ちする。
自らと互角に渡り合えるのは安芸に於いては毛利家当主ただ一人。だからこそ戦場に出ざるを得ないのだろうが…。
とりあえず傷口の状態を確認すべく、きつく巻かれたさらしに手を掛ける。
右肩を支えに上半身全体に巻かれているそれをはずし始めると、僅かに元就が身じろぎした。

「…うっ……」

ひどく辛そうに薄っすらと開けられた瞼が、間近に元親の顔を捉えて、すぐさま驚愕に変わる。

「?…!!!っ離…せ!」
「ちょ…痛っ…暴れんなって、傷の状態見るだけだからよ!」
「余計な事ぞ…我に触れるでないわ!!」

緩められたさらしの裾を元親の手からひったくるかのごとく奪い返して握りしめる。
そこまで頑なに拒絶されると、なんとなくこちらの方も意地になってしまうというものである。

「そんなに言うほど見せられねぇ理由でもあるってのか?ああ?」
「…そういう…わけでは……」
「じゃーいいじゃねぇか。傷薬ならいくつか手持ちがある、痛みが和らぐかもしんねぇ」
「……良い…このままで、構わぬ……」
「構わぬって……良かぁねぇだろうが……。アンタ自分じゃ分かんねぇかもしれねぇけどひどい顔色してんだぞ?!」
「…………。」

急に黙りこんで俯いてしまうあくまで頑ななその様子に、半ば呆れつつはっーっと深く溜め息を零す。
軽く手を触れただけで壁際から横へ逃れようとする元就の身体を強引に引き倒して、腕の中に組み敷いた。
そのまま身動きを封じこんでゆっくりとさらしをはずしていく。

「…っ!!止め…止めよ…長曾我部……っや…!!」

ことさらひどく暴れて、身を翻して逃げ出そうとする。

「いい加減諦めろ…って……っ!??」

逃げようとする元就の、背後から前に回した掌が何か柔らかいものに触れた気がした。
男であるはずの彼には、到底あるはずのない感触に思考が一時停止する。

「…えっ………は??」

若干大きさには欠ける気がするが、己の掌が触れているのは紛れもなく目の前の人物が女であることを主張する柔らかな胸の膨らみ。
それが、どういうことなのか。

「………え????」
「……いつまで、…触っておるか!!」

振り返りざまに真っ赤になって怒鳴りながら、元親の頬を思いっきり張り倒す。
バチンと乾いた音が洞穴内に反響した。

「…痛って…ぇ」

ひりひりと頬に走る痛みをさすりながら、そのお陰で今現状が夢ではないことを認識する。

(嘘…だろ……)

自らの掌をジッと見つめながら、ただ茫然と、導き出される答え。

「…アンタ、まさか…女だったの、か…?」

元親のその問いに、服の合わせの前をきつく握りしめながら、底冷えする様な冴え冴えとした視線が返ってくる。

「…斯様なこと、誰に言うても信じるまい。……今すぐに、忘れよ」
「……忘れろ…ったってなぁ…」

さすがの元親でも『はい、そーですか』というわけには、この出来事は幾らか衝撃が強すぎた。
まさかこれまで幾度となく手合わせしてきた敵の総大将が女であったとは。

「覚えてるっつったらどうすんだ?」
「……貴様の…息の根を止めるのみ」

心底忌々しく絞り出すような声に、敵を射抜くほどの眼光は揺るがない。
その身に傷を作りながらも矢面に立ち、ただ毛利家の繁栄と安芸の安泰のため、兵を平気な顔で切り捨て、挙げ句、敵はおろか味方にさえも非情と呼ばれる。
こうして相対している目の前の人物は、紛れもなく毛利元就、その人であるのに。

(もう少し、楽な生き方も出来ただろうよ…)
「俺を、殺す…ってか。…おもしれぇ」

ニッと口元に笑みを作って、再度元就の身体を地面に押し倒す。
傷のこともお構いなしに暴れるので、無駄な抵抗が出来ない様にと細い両手首を頭上で一括りに押さえ付けた。

「離さぬか!!!貴様っ許さぬ!!」
「傷に響くだろうが!いいからおとなしくしやがれっ!……あー…何なら、俺のこと殺すなんて言えねぇくらいひどい目にあわしてやってもいいんだぜ?あ?」
「……っ…愚劣、な…」

半ば脅すような声色と、どんなに身じろぎしてもびくともしない元親の指の力に、元就の身体がびくりと反応を返して、徐々に諦める様に力が抜けていく。

(…許さぬ…)

耐え難い、屈辱。
今日まで、自らのことを女だと思ったことはない。むしろ思わないように目を逸らしてきただけなのかもしれなかった。こうして圧倒的な力の差をむざむざと見せつけられてしまうと、ただどうしようもなく遣りきれない想いに駆られる。
舌を噛み切ってこの場で果てることすら、毛利の家名を背負っている以上、そう簡単に己に許されることではない。この辱しめを甘んじて受けることしか…。

(我は……)

自然にじんわりと目尻が潤んでくる。血が滲むほどきつく唇を噛みしめて、目の前の男を睨み返すことくらいしか出来ないなんて。

(…なんと無力か…)
「…っ……」

脅しが効き過ぎたのか、今にも泣きだしそうな怯えた表情で凍りついてしまったままの元就を見て、元親が盛大に破顔する。

「安心しろって、手は出さねぇよ。まぁ俺の好みはもっとこう、出るとこ出てて抱き心地が良くてだなぁ……間違ってもあんたみてぇなぺったんじゃ勃つもんも勃たねぇから心配すんな」

人好きするような笑顔をニカっと浮かべて、ことさら陽気に言ってのける。元親なりに気を遣っての言い回しであったが、明らかに言いすぎな感が否めない。

「………」

ただからかわれていたのだと、言葉の意味をゆっくりと理解した元就の肩が、わなわなと小刻みに震える。

「…我を、愚弄するか…っ!!貴様なんぞに…っ!貴様なんぞに言われずとも……っ!!」

自分には女としての価値などない。生きる途もとうに無いことなど、己が一番良く分かっている。

「………っ」

男と偽って生きる事にも限界があるということも、誰よりも何よりも自分が一番分かっているのだ。成長していくに連れて力の差は歴然、純粋な力比べなら、もう相手にすらならないだろう。自分はいつまで毛利の名を守れるだろうか…。
今まで押し殺してきた想いが堪え切れずにポロリと、その瞳からこぼれ落ちる。

「ちょ…おい……悪かった、言いすぎた…って」

まさか泣かれるとは思っていなかった。普段のあの姿からは想像も出来ない想定外の事態に、オロオロとうろたえるしかない。

(女泣かすって、…俺サイテー…)

しかもその泣き顔が、案外可愛いかも、などとうっかり思ってしまったのだから、益々持って狼狽するしかない。

「分かっておるわ……我にはおなごとしての器量など何ひとつない。…いくさ場で貴様と刃を交えている方がどうせ似合いよ」

自嘲気味に口元を歪めながら、自分に言い聞かせるかのように静かに吐き出される言葉に、
思いのほか傷つけてしまったのだと知って、どうにも居たたまれない気持ちになる。

「悪かった……なぁ、俺が悪かったから………泣くなよ…」

ひどく優しげに腕の中に抱き込んで、小刻みに震える背を擦ってやる。このまま力を込めたら折れてしまうのではないかと思うほどに、腕の中にすっぽりと納まる元就の身体は華奢な作りで、柔らかな栗色の髪が揺れ動くたび、どこかいい匂いがした。

(っとに、調子狂うな…)

おそらく傷の痛みとそこから来る発熱のせいで、意識が朦朧としているのだろう。その鳶色の瞳に己の姿を映しているのかさえも怪しい。

「…服、脱がすぜ?濡れたままじゃどんどん身体が冷えちまう。こうしてくっついてりゃ、温かいだろ?…何もしねぇからよ」
「……貴様の言うことなぞ、信用…出来…ぬ……」

そう言いながらも己を抱く腕の温度に、諦めたように身体を預ける。正直、海に落ちた際に大分失血したせいで何事かを考えることすらだるく、抗う体力ももはや残されていなかった。襲い来る睡魔にも逆らいがたく、身体があげる悲鳴にゆっくりと瞼が下がっていく。

「死ね…阿呆……」
「…毛利?」

そのままぷっつりと深い眠りの淵へと、己の意識を手放した。