黒雛




シャラシャラシャラと灯りが遊ぶ花街を、ロイは何かに呼ばれるようにして歩いていく。
辿り着いたのは。
格子に遮られた中で、金糸の髪を気だるそうに垂らして深紅の着物に身を包んだ、一際目を惹く少女とも少年ともとれないような・・・。
視点の合わない瞳はそっぽを向いたままだけれど。
横顔の幼い輪郭から、まだ14・5歳くらいだということが分かる。
垂らした髪が表情を隠して、何を思っているかは読み取れない。

(・・顔が見たいな・・)

「・・・こんばんは。」
とりあえず適当な挨拶を投げ掛けてみる。
声に反応して、こちらを向いたその面にゾクリとした。
白い肌に浮かぶ固く引き結ばれた唇はただ紅く色付き、流れ落ちる金糸がとても扇情的だった。
そしてそれよりも、何よりも、その瞳の強靭さ。
格子の中から自分を見上げて、金色に光彩を放つその瞳の強さに息を呑んだ。
こんな場所に似つかわしくない其れは、きっと己の持つ意思の強さの顕われなのだろう。
(・・私は、この子に呼ばれたのか・・。)
うっすらとそんな事を頭の隅で考えて、じっと自分を見つめたまま止まってしまっているロイに、エドがようやく口を開いた。
「・・・・あんた誰?何?俺を買うの?」
「・・・・・ああ、そうだね。ここはそういう場所だったね。・・・君を買えるのかな・・・・?」
「いいけど・・・・、あんた悪趣味だね。」
「?・・・・どうしてだい?」
言われた意味が分からずに、思わず問いかける。
「だって、さ。こんな髪にこんな目の色だぜ?・・・よっぽどの物好きしかいねぇよ。」
黒髪・黒目の優性遺伝子は見る影もなく、どこか外来の血が混じっているのだろう。
確かにこんな場所でもかなり異色の雰囲気を醸し出していた。
(まぁ、確かに特殊な面持ちではあると思うが・・・。)
「そうかな?・・・私は君を見て、綺麗だと思ったんだが・・。」
「・・・っ!」
投げかけた言葉に反応して、白い頬にサッと赤みがさす。
「・・かっ買うんなら、さっさと中入って来いよ・・」
こんな言葉にすらそんな可愛らしい反応を返す様に、知らず微笑が零れる。
「・・・っ!なに、笑ってんだてめぇ!」
恥ずかしさを隠すために憤慨して、下から見上げてくるその仕草も可愛い。
(・・・・しかし・・・言葉が悪いな・・・。)
一応仮にも自分は客だったのではないかと、そんなことを考えながら正面に回り、番台の女に手短に用を伝える。

「・・・霧の間へ、ご案内します」
言われ、前を歩く女の後について部屋へ向かった。
「こちらで」
「・・・ありがとう」
2階に上がり、促された先にある部屋に入ってロイは一息ついた。
とりあえず上着を脱ぎ、ネクタイを緩める。
部屋の奥の椅子に腰掛けて障子を開けると、花街特有の提燈がぼんやりと明かりを灯してゆらゆらと揺れていた。
軒並み続く楼閣に群がる男たちと、それを糧にしたたかに、けれど生きる為に誘う女たちの姿が見える。
自分がこんなところに足を運ぶとは、考えてもみなかった。
軍人であるが故に規律・規則が厳しいのが常であり、
(まぁ、結構黙認されているようだがな・・・)
どうにも、ここへ向かう途中に見知った顔を見かけたような気がするのは気のせいではないと思う。
実際、上層部の会合がひっそりと行われたりもしているとのことだった。
問題は、何故自分がここにいるかということ。
気がついたらふらりと、足が向かっていたのだ。
本当に、何かに呼ばれているかのように。
(・・・・疲れているのかもな、私も。)
そんなことを外を眺めながらぼーっと考えていたら、カタンと、襖の開く音がした。
音のした方に目を向けると先程格子の向こうにいた子が、三つ指を床について頭を下げている姿が目に入る。
何故だか、その光景がとても痛々しく見えた。
「そんなことはいいから、入りなさい。」
「・・・失礼します」
顔を上げたその瞳と視線が合う。
やはり綺麗な目だと思った。こんな場所で生きていくには辛すぎる、そんな澄んだ輝きを放っていた。
「食事は?何か頼むか?喉は渇いていないか・・・?」
そんな何気ない質問に、された当人はきょとんとしている。
「・・・・私は何か変なことを言ったかな・・?」
「・・・いや、別に、・・だって・・・」
おかしな事を聞いたのかと問うが、何やら言いづらそうに、もごもごと口籠ってしまった。
「なんだ?言えないようなことなのか・・?」
エドの居る側に寄り、俯いてしまっている顔を指で持って上を向かせる。
「・・・・・や、あの、今までの客って、みんな・・・その・・ただするだけ、だったから・・・」
言われている意味をようやく理解して、ロイは破顔した。
そして盛大に笑い出す。
「っ!なっ・・何だよ!笑うことないじゃんか!」
「いや、悪い・・君があんまりにも可愛いことを言うものだから・・・」
あまりに笑いすぎてしまったために、すっかりヘソを曲げて膨れっ面を作ってしまっているエドを軽く抱き上げる。
「・・っ!・・離せっ!降ろせばか――っ!」
「・・・・さっきも思ったんだが・・、君は本当に口が悪いね・・。
もうちょっときちんとした言葉使いをしないと・・・。仮にも女の子なんだから・・・」
「・・・っ俺は男だ―――!!!」
「おや、それは悪かった。」
どさりと、二つ並べて敷かれた布団の上にエドを降ろす。
「あんたが勝手に勘違いしたんだからな!俺は知らねぇぞ!」
「・・・それは別に構わないが、君はこういうことをするのが好きなわけではないんだろう・・?」
暗に、今からする行為についてだが、
「・・・・・仕事・・だから」
先程まで澄んだ色を映していた瞳に、昏い影が落ちる。
何か、理由があるのだろうか。
でなければこんな歳で、客を取ることもないだろうと思う。
幼すぎてか細い身体には、酷なことを強いる羽目になるのだから。
「・・・・何か理由が・・?」
「・・・っあんたに言う必要はねぇ!」
ぎりっと、焔が燻ぶっているような目で私をきつく睨み上げる。
明らかな拒絶。
それがどんなに、男の中の本能的な何かを煽るかとも知らずに。
「・・・君はそうやって、男を誘うのか・・?」
「・・っ?・・・何言ってんだ、あんた・・・!」
肩を強い力で押され、後方へと押し付けられる。圧し掛かってくる重みに思わず抵抗するようにもがいた。
多分少なからずともそれは、いつまで経ってもこの行為に慣れることのない、自分の中の恐怖心と呼ばれるものの所為だと思う。
「離せ・・よっ!」
顎を捕らえられ合わされた視線、男のその黒目の奥の熱に、背筋がぞわりとするのが分かった。
激情が、焔のようにちりちりと燃え上がっていくかのような・・・。
「・・・・誘ったのは、・・君の方だ・・・」
「だから、ちが・・っ・・あ!」
真白い首筋に頭を埋めて舐め上げる。きつく食むようにして吸い上げると、花びらのような痕が散った。
「ん・・・っ!・・い・・やぁ・・・・っ」
白い肌に赤が良く似合う。
自らの加虐性をただ高めるためだけの彩。

(・・・・・落ち着け・・・・)

ふぅとため息を一つ吐いて、彼を見る。熱と恐怖に本気で怯えているかもしれない表情。
涙に潤んだ目がおずおずと見上げてきた。
「・・・っそんな目をしないでくれ・・・。・・本当に、酷く抱きたくなるだろう・・・」
「・・・・・・なっ!!!何だよっそれ・・・っ!」
暗に、自分のせいだと言われているようなその言葉に、頬を真っ赤に染めて反論する。
大体において明かりは点いたままだし、布団の上に乗ってるだけで自分を庇ってくれるものは何ひとつも無い。ついでに今現在の格好は赤襦袢が腰紐ひとつで結ばれているだけの心許ないものであった。
下着一つで目の前の男の目に晒されているのかと思うと、羞恥で自然と顔が火照ってくる。
恥ずかしさに泣けてきそうだというのに・・・。
なんで、そんなことを言われなければならないのか・・。
自分勝手なことを言う男を、きっと睨み上げる。
「・・・・君は、本当に・・・」
膨れっ面のまま下から見上げてくるその姿すら自分を煽るものでしかない。
というか、ロイの心情によれば『好きな子ほど苛めたい』的なものである。
された方はいい迷惑なんだと思うのだが・・。
「・・・ちょっ・・・!せめて明かりは消せよっ・・!」
再び前戯を再開しようとしたロイに、エドの罵声が飛ぶ。
「・・そうしたら、君の顔が見えなくなるだろう・・・?」
初めて逢ったばかりだというのに、全てが欲しいと思ってしまう。貪欲に何もかもを手に入れなければ気が済まなくなりそうだった。
「いいんだよっ!それ・・でっ!・・・」
一向に消そうとしないロイにしびれを切らして、自ら明かりに手を伸ばす。
自然、ロイに背を向ける形になった。
「・・・消すなと言ってるだろう・・・」
伸ばした手をつかんで、後ろ側から抱き込む。
襟首を、肩が剥き出しになるほど下げると白い背中が露わになった。
首筋、うなじから舌先で辿ってやると、びくりと身体が跳ねる。
「っやめ・・!・・あっ・・・んん・・!」
途端に紅く色付いた唇から嬌声が零れ落ちた。
「・・・っ!・・やっ・・全部、は脱がさないっ・・で!」
「・・・?」
(先程からやたらと、明かりを消せとか・・脱がすな・・・とか・・・多いな・・?)
そう言われると、尚更脱がせたくなるというものである。
腰紐に手をかけて、一息にはずす。
すり落ちた襦袢から彼の右腕が覗いた。
「・・・っ!!・・・鋼の義肢・・か?」

「・・・・。」
沈黙は肯定に取れる。俯いてしまっている彼の表情は見えなかった。
「・・だから、言ったろ?脱がすなって・・・。こんな身体じゃあんただってつまらないだろ?」
こんな髪にこんな目で、おまけにこんな身体じゃあ、こういうところに売り渡すしか金になるようなことはないんだ、と。半ば自虐的になりながら笑い飛ばすように言ってはいるが、最後の方は涙声が混じっているように聞こえた。
「・・・すまなかった。」
もう一度その背中に口付けて、身体をひいて仰向けにする。
案の定、その白い面にはうっすらと涙の跡が見て取れた。その跡をそっと手で拭う。
「・・っ!あんた変なやつ・・・」
「・・・?そうか・・?」
実際ロイの中に、大事にしてやりたいという気持ちと、苛めてみたいという気持ちが相反して存在してはいるが、別に傷つけたいわけじゃない。

心を抉るようなことはしたくなかった。

「・・・君の名前を、教えてくれないか・・?」
「・・・なんで?・・・・そんなことどうだっていいだろ?」
ただするだけなんだから、と彼は言う。

「私は、ロイ、だ。・・・ロイ・マスタング。・・・・必ず君の口から言わせてみせるよ。」