黒雛3




「着いたぞ。」



「・・・・でけぇ・・・・・。」
強引に乗せられた車から、気遣うように優しく抱き上げられたままの
エドが、表玄関を前にして口をぽかんと開けたままそう呟いた。
「そうか・・?これくらい普通じゃないのか?」
「・・・てゆうかあんた何やってる人・・?やばいのじゃねぇだろうな・・」
「ははは・・違うよ、私は―・・・」
「マスタング大佐っ・・!」
言い掛けた言葉に、向こうから呼ぶ声が重なった。
凛として良く透き通る女性の声だ。
「ホークアイ中尉。」
そう呼ばれた女性は、長めの金髪を一纏めに結って見慣れた紺青の軍服に身を包んでいる。
すっと切れ長の瞳が、彼女の仕事に対する姿勢を物語っていた。
「この際ですからどちらに行かれていたとか、そちらの方は。とか無粋なことはお聞きしません。
率直に申し上げると、仕事が山積みです。屋敷の方へお持ちしておきましたので明日朝までに宜しくお願いします。」
表情のない顔で、美人に凄まれるものほど怖いものは無い。
確かに夕刻に、ふらりと抜け出した自分が悪いのだが・・・
「・・・・や、しかし・・朝までとは・・」
「宜しいですね?」
反論は許されるはずもなく極めつけとばかりに、にっこり笑顔で止めの一言。
「では明日、お迎えに上がりますので。」
逃げることも許さんとばかりにそう言い残して、くるりと踵を返した。
「・・・・あんた、軍人だったんだ・・・」
二人のやりとりを、おとなしく聞いていたエドが少し辛そうにそう言った。
「ああ、まぁな。・・・・・はぁ・・しかし明日までか・・・・」
「あの人いい人だね。」
「どうしてだい?」
「だって、ここでずっとあんたが帰ってくるの待っててくれたんだろ?」
ただ書類を置いていくだけなら、別にメモでもなんでもいいのに。
まぁ、やるかやらないかは本人次第だろうしな・・と思う。
「そう・・だね。」
「・・・・・。」
「どうした・・?」
急に黙り込んで俯いてしまったエドを怪訝そうな顔で覗き込む。
「・・何でもないよ。それより早く家の中に・・・・。」
顔を上げて視線の合ったその表情は、穏やかそうに笑っている。
先程一瞬だが、泣きそうな顔に見えたのは自分の気のせいだったのだろうか・・
「ああ、そうだな。すっかり身体も冷えてしまった。今夜温めてくれるかい?」
「馬鹿・・仕事しろよ・・・・」
呆れているのか照れているのかどちらとも取れないその言葉ごと唇を塞いだ。
「・・んっ・・」
軽くちゅっと音を立てて離してやると、やはり照れているのか頬をうっすら赤く染めていた。
「とっ・・とにかく仕事しろよな!」
「はいはい。」
溜め息まじりに、苦笑を漏らしながらそう答えた。




自分は突き当たりの書斎で仕事をするからと、近くの客室に通された。
とりあえずシャワーを浴びて、置いてあったバスローブを借りた。
身体はさっぱりしたのに何故か心が晴れない。
思い出すのはさっきのこと。
(・・・・あんな人が傍にいるんだ・・・)
綺麗な人だった。見るからに仕事も出来る感じで、パートナーとして彼の右腕とも呼ばれるべき人物なのだろうと思った。
というより、軍人だったその事実に驚いた。
しかもあの若さで大佐ともなれば、相当のエリートということだろう・・。
周り中そこかしこに、女性の影があってもおかしくない。
地位や財力にも恵まれ、なお且つ容姿も良いとくれば、引く手数多ではなかろうか・・。
「・・・なんで・・・」
自分なんかを連れてきたんだろう・・・。
(ただ身体を繋ぐだけの気楽な存在だから・・・?)

分からない。

何の役にも立つとは思えない自分なんかをどうして・・・・。


ズキンッ

「・・っい・・痛・・・」
急に、胸の辺りに覚えのない痛みを感じて、息を詰める。
まるで、針で刺すかのような鋭い痛み。
立っていることも侭ならず、思わずその場にうずくまってしまった。
「・・・・・っ・・・う・・・」
(何・・だよこれ・・・)
今までこんなことは無かった。
健康だけが取り柄のような、病気らしい病気もしたことがなかったのに。
「・・・痛っ・・う・・・・・っく」
必死に息を顰めて痛みを耐えるその白い額には、玉のような汗が幾つも浮かんでいる。
「っ・・・いっ・・・っ!・・」
時折さらに、ビリッとどこかが引き攣れるような鈍い感覚がある。
浅い呼吸を何度も繰り返して何とかその痛みが過ぎるのを待った。


ようやく治まったかとほっと一息つけば、ぐらりと目の前が揺れるほどの倦怠感と急激な眠気。
眠るにしてもさすがに床じゃまずいだろうと崩折れそうな身体を必死に、何とか目の前のベッドまで辿り着くことが出来た。
そのままうつ伏せに倒れこむようにして寝転がる。シーツの感触を肌で確認しながら、そのままぷっつりと意識を手放した。




さらさらと、規則的な音をたてて動いてたペン先が不意に止まる。
「・・・・はぁ・・・何もこんなに持ってこなくてもいいのに・・・・」
机の上にどっちゃりと盛られた書類の量に、思わずため息がこぼれた。
これではそのうち自宅までもが仕事場になりかねない。
まぁ元を正せば日々の自らの行いにすべて起因しているのだが。
ようするに自業自得というやつである。
が、しかし・・・
「それにしても多い気がする・・・」
うーん?と頭を捻ってはまた黙々とペンを滑らせていく。
(あの子はどうしてるかな・・)
実は先ほどからそればかりが気にかかりそわそわしながらの作業なので、
時間に比例するほど実質の仕事量ははかどっていなかった・・・。
今のこの状況を見れば、まず間違いなくホークアイ中尉の銃弾が頭を掠めるだろう。


がたんっ・・

「・・?」
客間からの物音。今この屋敷には自分と彼しかいない・・。
先ほどまではシャワーの音が聞こえていて、その後急に静かになったのでてっきり眠りについたのかと思っていたのに・・。
(まだ起きてるのか・・・?)
一向に減らない書類の束をどうにか見ないようにして、書斎を後にし彼を通した客間へと向かった。
コンコンと2回程ドアをノックしても返事がない。
「・・・?入るぞ・・・?」
散々待ったが返事がないのでドアノブを回して中へ入った。
一歩中に入り、目的の人物をベッドの上で見つけたがどうにも様子がおかしい気がする。
(・・・普通毛布はかけて寝るものではなかろうか・・・?)
用意されたベッドの上に、眠るというよりは・・
「どうかしたのか・・・?・・・っおい!」
やはりというか。嫌な予感ほど的中するものだ。
ベッドに倒れこむようにして横たわっている彼を見れば、熱のせいだろうか耳まで赤く火照っている。
呼吸は浅く、苦しそうに息継ぎをしている様が痛々しい。
「しっかりしろ・・」
小刻みに震えているか細い身体を抱き起こした。
ベッドの中に寝かせて、上から毛布をかけてやる。冷や汗に張り付いた金糸を優しく梳いてやると小さく身じろぎした。
「今、医者を呼んでくるから・・・」
正直こんな時間になってしまって果たして呼べるかどうか微妙なところだが、
そこはたたき起こしてでも引きずってこようと思ったロイである。
「・・・・って・・」
「?どうした・・・・?」
腕の中に抱きしめた人物がもぞもぞと動いた。意識が朦朧としているのだろうか。
「・・・・行・・ かな い  で・・・・」
指に置いた手をぎゅうと握り返しながらうわごとのように繰り返した。
固く瞑られた瞼からぽろぽろと涙が滑り落ちる。

『おいていかないで』

ふぅと一息ため息をついて。
医者を呼びに行こうと浮かしかけた腰をそのままその場に据える。
「・・・一体どんな夢を見ているんだ・・・・?」
涙を零すほど辛い夢ならいっそ。
やれやれと思いつつも、少しでも楽になればとその頭を撫でてやる。
この発熱もそれが原因なのだろうか。

「私は君のことを知りたいんだ・・・・」






「・・・・・・・」
朝目が覚めて、枕が濡れていることは度々あった。
でもその間のことを一切覚えていない。自分がなぜ泣いているのかさえ分からないのだ。
「また・・・か。」
ふと。
何か違和感を感じる。
「・・・腕?え?」
自分の胸の上に他人の腕が乗っかっている。よくよく見れば自分を抱いている人間の体温がすぐ側に。
「わぁぁぁぁ・・!!」
思い切りよく彼の顔を張り倒して、どうにかその腕から逃れようと身をよじった。
自分の背中には壁があるから、逃れるには彼を押しのけるしかないのだが。
(なんでこんなことになってるんだ・・・っ?!)
いまいち事の経緯が分かっていないエドは半ば半狂乱である。確か自分は一人でベッドに寝ていたはず・・・?
「・・・いてて・・・ひどいな・・・」
その声と一撃で起きたらしい。
先ほど自分が張り倒した頬を呑気にさすっている。
「おはよう。」
にこにこと満面の笑顔で抱きしめられながら軽く額にキスされた。
一生懸命腕で突っ張っているのだがまったく効果がないのが悔しい・・・。
終いにはその腕もとられて指にまでキスされた。
「ちょっ・・やめろよ・・!!あんたなんで・・・・っ」
「・・・・・・?君が離してくれなかったんだが・・・」

・・・・・・・・・・・・・。
え?俺?
しばしの沈黙。
その後ロイが口を開いた。
「ああ、まだ少し熱があるな。今日一日ゆっくり寝ていなさい。」
腕の中にすっぽり納まってしまうエドを抱きしめてやると、まだ幾らか熱っぽかった。
「うん・・・・・・・じゃ・・なくて!俺昨日なんか言ってた・・・の?」
すごく不安そうに見上げてくる瞳が、その言葉が嘘ではないのだと物語っていた。
(覚えていないのか・・・。)
「・・・・いや、ただ寒いから側にいてくれってね・・?」
実際昨晩の彼の身体は冷え切っていたので、そのまま放っておける状態でもなかった。
その場から動くことも出来なかったロイは、仕方がないので彼を抱きしめたまま一緒に横になっていた。
彼が落ち着いたら自分は戻ろうと思っていたのだが。
抱きしめると擦り寄っては顔を埋めてくるその仕草がすごく可愛くてついつい夢中になってしまっているうちに、
どうやらそのまま自分も眠ってしまったようである・・。
「とりあえず今着替えを持ってくるから。後何か温かい物でも飲んだ方がいいな。」
そう言ってその場を後にする。
パタンと、扉の閉まる音がした。
急に一人になって、しんと静まり返った部屋の静寂が。
「・・・っ・・!」
何故だかもの凄い不安がすべての意識を支配する。
さっきまでそこにいた人の温もりが、突然に無くなる恐怖。

以前どこかで感じた―・・・・・?
「待って・・!・・・っ」
立ち上がって先ほど出て行ったその背を追うように、ドアを開ける。
(っ・・・・・気持ち・・悪・・・い・・・っ・・・・)
熱のせいか、ずるずるとドアを開けたままその場にぐったりと倒れこんでしまう。
「?!・・・・おい!」
ドアの開く音に振り返れば、寝ていなくてはならないはずの病人がドアの外にいるではないか・・。
「何してるんだ・・!しっかりしろ・・」
慌てて駆け戻って、抱き起こす。
額に手を当てると、急に動いたせいかまた熱が上がっていた。
「・・って・・・こ・・・こに・・・・・」
うわ言のように繰り返される言葉。縋り付いてくるようなその瞳に不安の色を滲ませて、熱に支配された身体を預けてきた。
何が彼をそこまで不安にさせているのかはまだ分からないけれど。

「ここに、いる。」
少しでも楽になるのなら。
「・・・・っろ  い・・・?」
「ああ。側にいるよ」
震えているその背中をぽんぽんとあやすようにさすりながら。
伝えた名を覚えていてくれたことに嬉しく思いつつ、いまだ自分が彼の名を知らないことに気づく。
「・・・・・君は・・?」
答えが返ってくることを期待はしていなかった。
たとえ分からなくても、もうどうでもいいような気さえしていたのだから。
「・・・・エド・・・・・・・・エ・・ド・・ワード・・・」
「そうか・・・。側にいるよ、エドワード・・」
優しくその名前を呼んでやると、ようやく涙に濡れていた瞳が微笑った。
抱き上げてもう一度ベッドに寝かしつけてやる。
「ん・・・・」
また熱に浮かされてしまったその額に口付けて。
今度こそ良い夢をどうか。
「ゆっくりお休み。」





ここにいるから。