黒雛4




ピンポーン。


慌ただしく朝の支度をしているロイを尻目に無情にもそのチャイムが響き渡る。
「はいはーい。・・・あ、えっと・・」
代わりに玄関先の応対に出たエドだったが、ロイと同じ紺青の軍服に身を包んだ女性と会うのはこれで2度目である。
「こんにちわ。大佐はいらっしゃるかしら?・・・ああ、私はリザ・ホークアイ、階級は中尉です。宜しくね」
にこりとした笑顔なのだが何か恐ろしい気がするのは気のせいだろうか・・。
「あ、・・エドワードです。・・多分もう来ると・・・」
「こらエドワード!・・・・まだ熱があるだろう・・おとなしくしてなさい!」
大急ぎで支度をすませたロイが、大階段を駆け下りてきた。
「・・本当に迎えに来たのかね、中尉・・・。」
がっくりとうなだれる上司をよそに
「仕事ですから」
と、あっさりと切り返す。
結局昨日の今日で、渡された仕事の半分がやっとというところであった。
「とりあえず今日決済の書類には目を通したが・・・」
「結構です」
受け取った書類と共に踵を返す。車を回してありますのでどうぞと促された。


「バタバタしてすまないね・・大丈夫か?」
「うん。もう平気・・・俺こそごめん・・昨日ずっと・・・」
ついててくれたんだよね、と言いかけた言葉をさえぎるようにして口早に囁かれた。
「なるべく早く帰ってくる・・・だから」
一人で先に寝ないで待っていてくれよ?と。暗に夜の営みを匂わす台詞を耳元に残して。
「・・ホントもう大丈夫だから・・・・・・・行ってらっしゃい・・・」
満面の笑顔でそう言われてはどうにも出来ず、小さくそう返した。
「行ってきます」
照れ隠しにそっぽを向いてしまった可愛い人を抱き寄せて唇に優しくキスを落とす。
まだ幼さを残した柔らかい輪郭の頬にも左右に数回。
きょとんとしたままいまいち状況を理解出来ず、されるがままになっているエドワード。
新婚まがいのではあるが、朝の挨拶として出来るようになるまではほど遠いようだ。
(まぁ・・そのうちな・・・)
と儚い想いを抱くロイである。
エドのほうはといえば、何故ロイがそんなに寂しそうながっかりしたような何ともいえない表情で見つめてくるのかすら分かっていなかった。
(・・なん・・・だよ?)
物心ついた頃はすでに籠の中。
外界と隔たれ四角く切り取られたあの檻の中だけが自分の世界だったから。
労わりや優しさのそのキスが何を意味するのかさえ知らずに育った。
ただ身体を繋ぐ道具としてしか思えないまま。




広い家にただ一人ぽつんと。
好きなように使っていいからと言われていた書庫の本はもうあらかためぼしいものは読んでしまった。
それでなくてもロイの書庫においてある本はどれも貴重といえる文献ばかりで、素人目にみても学術的専門書が多いのが分かる。
だからこれといって、日常的な理解が深まるわけでもない。
とりわけ日常生活についてなど、書いてあろうことがないのだ。
「あー・・・どうしよう・・・」
この持て余した時間を。
こんなにもゆったりと時が流れるものだとは知らなかった。
昨日あれほどあったのにも関わらず、今はもうすっかり平熱に落ち着いている。
自分がこの屋敷に一人でいても寂しくないようにと色々なものを置いていってくれた。
その全てを包む優しさが嬉しくて愛おしくて、
こんなにも幸せだからこそなおさら余計に『寂しい』なんて口には出来なくて。
せめてあの人は自分を気にすることなく仕事が出来るようにと笑顔で見送るだけ。
・・・そんなことくらいしかしてやれない。
(ほんと役立たずなのな・・俺)
何の気なしに手元にあったリモコンの電源を入れる。
居間に置かれた大型のテレビに誰とも知らぬ夫婦の姿が映った。
「いってらっしゃいあなた。気をつけて」
・・ここまでは自分でも分かる。いつもと変わらぬ朝の風景だと。
「愛してるわ」
ブラウン管の中の彼女はそう呟いて、見送るべき最愛の者に口付けた。
(・・・・っ!・・これ・・って・・・)
一方、言われた方も同じように彼女に口付ける。
何のことはない他愛ない朝の挨拶。
そんなことさえ知らない自分を、ロイは一言も怒らなかった。
(朝・・寂しそうな顔してたよな・・)
自分も返さなくてはいけなかった。あんなに何度もキスをくれたのに・・。
(・・・明日は頑張ろう・・・)
きっと口に出しては言えないから、せめてどうかこのキスで伝わりますように。





いってらっしゃい・・・・・―――愛している、と。