2012年お年賀




「毛利ーいるんだろ?おーいい」

何の前触れもなく安芸の外れにある別邸に突然やってきた四国の主に、毛利家の家臣達はひどく慌てふためいていた。
喧騒から離れて佇まい静かなこの地にある屋敷に中国の主である元就が滞在していることは、毛利家の中でも限られたごく僅かの人間にしか知らされていない。いくら四国が同盟国とはいえこうまであからさまに情報が漏れていることを危惧せずにはいられなかったのだ。

「お待ちください…っ困ります…長曾我部殿…! お待ちを…! あ、隆元様…」
「これは長曾我部殿、新年早々にようこそ」
「おう、隆元! 元気そうで何よりだな。たんまり土産持ってきたから受け取ってくれや」

そう言って表に積まれた荷を指差すと、なんとか押し留めようとする家臣連中をさらりとかわして、奥の廊下へと迷うことなく進んでいく。

「ちょ…お待ちください、長曾我部殿…っ!!」
「ああ、構いません。私がお伝えしたのです」
「…隆元様?!」


何度か訪れたことのある屋敷の廊下を勝手知ったる顔で歩く。
冬の時期になると元就は、この屋敷の庭から見える日輪の光を何よりも好んだ。
瀬戸海からの昇陽が寒々しい海面に映えて、何よりも美しいのだと、そう嬉しそうに言うのだ。その所為もあってかこの場所へは何度か足を運んだことがあった。
辿りついた先の見覚えのある室の襖を景気よく開ける。

「ああ、いたいた」
「…斯様なところまで、何用ぞ」

正月早々騒音をまき散らす思いがけぬ来客に、思わず滑らせていた筆の先を止める。

「あん?…年始の挨拶に来たに決まってんじゃねぇか」
「…来るなら来るで、文の一つも寄越さぬかと常から言うておろうが」
「…なんかそういうのは性に合わねぇんだよ、つうか…あー…そうだ。波が、な」
「波?」
「ああ、今日の瀬戸海は特に穏やかだったんでね。どうもこういう日は無性に船に乗りたくなるんだ」
「……ほう」

海賊とはそういうものなのかと、半ば呆れた様な眼差しを長曾我部へと向ける。だがそれがどうして我が屋敷を訪れることになるのかということがどうにも腑に落ちなかった。
思ったままに問うてみれば、『逢いたかったから』などと訳の分からない答えが返ってきた。

「…四国は余程、暇と見える」
「向こうには信親を置いてきたからな、俺よりも優秀だろうし大丈夫だろ。酒も食いモンもたんまり持ってきたから、アンタも一緒に向こうでどうだ?」

確かに長曾我部のところの嫡男が小さい頃から良く見知ってはいる。体格こそ長曾我部に似て大柄ではあるが、聡明で快活な好青年だ。おそらく国主の名代としてもそつなくこなすことであろう。
世代交代でも思い始めたのかと要らぬ考えが巡るのを溜め息をひとつ零して遮った。
兎にも角にも今は、目の前にある文机に山積みにされた政務をこなすべく、再度筆を走らせるのみ。長曾我部には背を向けたままに言葉を続けた。

「…我はまだ成さねばならぬ政がある故、…こちらも表のことは隆元に任せておる。正月早々無碍にはせぬから、ゆっくりしていくがよい」
「……」
「ああ、元春が…、そなたと手合わせをしてみたいと申しておったから、相手をしてやってくれぬか?…きっと喜ぶであろう」
「………」
「…長曾我部? どう…っ…?!」

普段よりも饒舌になっている己とは反対に、普段ならばそれはもう、うるさいくらいに口を挟んでくる相手が黙りこんでしまったことを訝しく感じて、視線だけで振り返る。
振り返った背後に気配を感じたかと思えば、そのまま腕を掴まれて横抱きに抱え上げられた。

「?!なっ…何をするか!…降ろさぬか、っ…!!」
「隆元! いるか、隆元ー!」

自分を抱き上げたまま廊下に出て、今度は大声で隆元を呼ぶ。
常日頃から予想外の行動に出る輩だとは認識しているが、その一連の行動についつい面喰ってしまった。

「…何…ぞ…」
「長曾我部殿?…如何なされましたか」

騒ぎを聞きつけてかパタパタと離れの方から足音が近づく。
さすがにこの状態を息子の目に晒すのは憚られると身を捩れば、それに気が付いたのかようやく腕の中から解放された。

「いきなり何をする、この…っ」

されども懲りずに腰に回された手を不快に感じて、振り払おうと力を込めるもどうにも上手く力が入らない。地についている筈の足先もふわふわとしていて、ともすれば平衡感覚が鈍くなってしまったのかと思う程だった。

「ああ、悪ぃな隆元…やっぱ駄目だわ、…こりゃ結構、熱あるなぁ」
「やはりそうでしたか……。ではすぐに褥の用意と、薬湯をお持ちしますね」
「よろしく頼むわ」
「いえ、此方の方こそ…ご面倒をお願いして申し訳ございません」
「…? 何ぞ、一体…」
「だからぁ、アンタ熱あんだよ!…自分でわかんねぇ? とりあえず正月ぐれぇはゆっくり休めよ!」
「…馬鹿者がっ何を申すか…我にはまだやるべきことが…」
「父上は普段からご無理なさりすぎなのです。折角ですからこの機会にごゆっくりと静養なされませ」
「隆元…? 良い…これしきのこと、大事ない…っ…」

踵を返して室の用意にと侍女を呼びに行こうとした隆元を、諌めようと一歩足先を踏み出した、瞬間。
ぐんにゃりと視界が歪んだのが倒れる前に見た最後の記憶だった。

「…っ!」
「毛利! …おいっ…!」
「父上…!」

呼びかける長曾我部の声と心配そうな隆元の声を何処か遠くに聞きながら、歪む視界を振り切る様にぎゅっと固く両目を瞑る。
敢え無く力の抜けた足元からぐらりと崩れ落ちていく感覚に、そのままであれば廊下に倒れ込んでいたであろう己を、抱きとめる腕の力を忌々しく思いつつも、ゆっくりと世界が暗転していった。




次に意識を取り戻した時には、もうすでに用意された褥の上に横たえられていた。
額に置かれた手拭いを替えようとする、傍らにある人の気配に気だるげに視線を動かす。

「よう、気がついたか。…気分はどうだ?」
「……寝覚めから貴様の顔など、最悪ぞ」
「はっは!…そんだけ減らず口利けりゃぁ大丈夫だな…ほら、薬湯飲めるか?」
「ああ…」

横になったままでは零れてしまうからと上体を起こそうと試みるも、節々に響く鈍い痛みと、熱のせいか上手く力が入らない。起き上ろうとするだけでも思いのほか時間が掛かってしまう。

「ったく、しょうがねぇなぁ」

見兼ねた長曾我部の腕が背へと差し入れられる。そのまま腕の中へと抱き起こされた。抗う間もなく触れ合わされた柔らかい感触に、飴色の瞳が驚きに揺らぐ。

「…な…にっ…ぅ、んっ…」

重ねられた唇から含まされた、苦みのある液体がごくりと咽喉を伝う。
咽喉も若干腫れているのかもしれない。飲み込む度に咽喉元に感じる違和感とごろごろとした痛みに形のいい柳眉をわずかに顰める。

「…っう…」
「アンタ本当に一人じゃほっとけねぇなぁ…みんな心配してたぜ?」

俺も含めてだけどな、と人好きのする笑顔を二カッと浮かべて「隆元にアンタの様子がおかしいのに聞き入れて貰えないと泣き付かれたぞ」と、長曾我部が困った様に笑う。
そういえば、あまりの忙しさにかまけて食を摂るのもすっかり失念していたことに気付いて、要らぬ心配をかけてしまったのだと先程の隆元の言葉にも苦笑するしかなかった。

「…この…馬鹿が…うつったらどうする」
「あ?…あー…そしたら、…アンタが看病してくれるか?」
「…誰が…っ貴様なぞの…」

混濁した意識の中で、時折握り返してくる手のひらの温もりをうっすらと覚えていた。まるで童子のような仕草に気恥ずかしさばかりが身の内に残っている事も、けれど大きな手のひらに包まれて安堵していた事も。
常々思うが、どうしてこう人というものは、病に伏せると心細くなっていくのであろうか。しかも無意識下にあるものだからどうにも始末が悪くて仕方なかった。

「ん?」
「……」

長曾我部が顔を見せた時には昼天にあった陽も、今はもうすっかり斜陽となってしまっている。
こうしてずっと飽きずに傍に付いていたのだろうか。四国の主ともあろう者が。
目が覚めた時、額に感じたひんやりとした手拭いの感触。熱ですぐ温まってしまうだろうからきっと何度も何度も取り替えてくれていたのだろう。

それこそ、己の目が覚めるまで、ずっと。

「………」
「毛利…?」
「……少しばかり……考えて…やらん事も、…ない…」
「おう!宜しく頼むぜっ」

その勢いで「今日このまま一緒に寝てもいいか」などと図々しくも褥に入ろうとしてきたところを、思わず条件反射で思いっきり殴り飛ばしてしまった。

「いっ!てぇ…」

予想外の痛みに涙目で顎を押さえる長曾我部に慌てて背を向けて、上掛けを顔がすっぽり隠れるくらいにまで引き上げる。
変に意識してしまったせいで、熱とは別の火照りを身体の奥に感じた。

「もうりぃ…」

しょんぼりと項垂れてしまった長曾我部を横目にちらりと見据えて、またすぐに逸らす。
顔を背けたままにぽつりと小さく呟いた。


「…うつっても…知らぬぞ、阿呆が」
「…!! お!…おお!…望むところよ!」





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新年初デレ!…ありがとうございました^p^
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます! もう瀬戸内結婚すればいい