青眼




「王子!お戻りください!」
すたすたと前方を歩くユギに対し、なかば怒鳴りつけるような勢いで叫んだ。
王宮から抜け出し、供もつれずにどこへ行くというのだろう。
この王子は自分の身分を分かっているのだろうか?セトは内心ため息をついた。
「・・・何をそんなに怒っている?綺麗な顔が台無しだぞ?」
にこにこと、まるで何故私が怒っているのか分からないといった風だ。
・・・・・・・・この王子はっ!
ふるふると、こぶしを握り締めて怒りをこらえる。
本当にこの王子は、キレるのか、馬鹿なのか分からない。
王子に召され、しばしばゲームの相手をすることがある。
時折みせる鋭いまなざし――――土壇場で戦況をひっくり返す奇抜なテクニック。
誰よりも誇り高いデュエリスト。そう思って対峙するたびに心が騒いだ。のに。
「とっとにかく!供もつれずに夜に出歩かれるのは危険です!お戻りください!!」
「供ならつれているぞ」
・・・・・・・は?
それはもしや自分のことであろうか?
神殿に仕える神官に護衛が務まるわけがない。何せ祭具の他は一切の武器を持つことを
許されていないからだ。
まぁ多少の武術の心得はあるが、いかんせん多勢に無勢でこられてはかなう筈がない。
「・・・っ!お言葉ですが、私1人では王子をお守りできません!
どうしても外出したいと言われるのなら近衛兵を呼んで参ります!」
くるりと踵をかえし、王宮に向かおうとしたセトを王子がひき止める。
向き直った王子の深紅の瞳には自信に満ちた光がきらめいていて。
一瞬だけドキリとした。どうしてか、良く分からないけれど・・・。
「セトっ!ゲームをしよう。俺を捕まえられたら、おとなしく王宮に戻ろう。」
言うが早いがそのまま王子は城下町の方に向かって走り出してしまった。
「なっ!王子!お待ちくださいっ!!」
こうなってしまってはもう追いかけるしかない。前を走る王子を懸命に追いかける。
神官服の裾が足に纏わりついて走りづらい。
「ええいっくそっ!」
追いかける。ただひたすら。自分はいつでもあの背中を追いかけているような気がする。
決してあいまみえることのない存在。光の御子。
それはきっと自分が闇の一族の末裔だからだろう。
闇は光を求める。けれど交わることはない。闇は光の前でただ無に帰するのみだ。
我が一族が滅び去ったように。決して。
ふっと昔の事を思い出して、けれどそれはすぐに思考からはじきだされた。
目の前に王子が得意満面な顔で立っていたからだ。
「遅かったなセト。さぁ行こうぜ」
行こうって・・・一体何処へだ。セトは内心毒づいた。
王宮から全力疾走で走る王子を追いかけて、息も絶え絶えなセトに手を伸ばした。
差し出された手に縋って、これは私の勝ちだろうか?とも思ったが王子の顔を見る限りでは目的は達成されてしまったようだ。
まんまと王宮から抜け出されてしまったし。
「王子、何処へ行かれるのですか?」
とりあえず聞いてみた。一体何をしにきたのだろう。
「ふふっ秘密だ」
ますます分からなくなった。
必要な物があるのなら取り寄せればすむし、金も女も好きに出来るんだろうに。
絶対権力者―王―とはそういうものだ。その命令1つで私の命すら消すことが出来る。
だから例え王がどんなに愚王でも誰も何も出来はしないのだ。
ただその圧政が早く終われと祈るばかり。
「セト!こっちだ!早く来い」
・・・もうこうなったらとことん付き合ってやる。この王子相手にいちいち考えていたら
自分の身が持たない。
この際だ、悩むのはやめて開き直ることにしよう。そう、心の中で言い聞かせた。

手招きのままにつれられて行ったそこは、建物の外見とは裏腹に中へ1歩入ると、
年代物かと思わせるほどの細工物が所狭しと並べられていた。
それらは刀剣や弓といった武具から、女性が身につける装身具にいたるまで。
神官である自分も、より高い御力を得るために多少の飾りはつけているが・・・・。
ここに置いてあるものに比べると、やはりどこか見劣りしてしまう。
普段見慣れている街の奥にこんな場所があろうとは。知らず魅入ってしまっていた様で、
王子の何度目かの呼びかけにようやく気づき、あわてて視線を合わせる。
「・・申し訳ございません・・・・」
「いや、いいさ。それより・・・よっぽど気に入ったみたいだな。それ。」
それと指さされたのは先程から自分が食い入るように見つめていた装身具である。
腕につけるタイプのもので、銀のリングの細工も見事ながら、何よりも目を惹かれたのが、
真中に埋め込まれたブルーサファイア。大きさもさることに、何よりもその色に惹かれた。
深い水底を、太陽の光が映し出したような・・・澄んだ青。
自分には到底不釣合いなそれがどこか羨ましかった。
(羨ましい・・・だと?・・馬鹿馬鹿しい!・・こんなものっ・・)
一瞬幼いころの自分が脳裏を掠める。以前であったならどう思っただろう。
何を気にすることも無く、身に着けていられただろうか?
((忘れるな!一族を滅ぼした光の者たちを!!))
一点の曇りもない澄んだ青。太陽の光のもとできらきらと輝きを放つことだろう。
自分では一生相応しく無いそれ。きっともう目にすることも無い。
セトの様子をみていた王子は嬉しそうに言った。
「店主!やはりこの青いリングを貰う。」
「・・・?!王子?・・・・・?」
王子の言葉に困惑するセト。
実はユギは、以前から城を抜け出した際に何度かこの場所に足を運んでいた。
一目見て気に入ったその青いリングをセトに贈ろうと思っていたのだが、
どうせだったら本人に選ばせようかと思い、今日強引に連れ出してきたのだ。
そして2人、同じものを選んだ。
想いの違いはあるけれども。
「腕を出せ。セト。」
ほらつけてやる、と言わんばかりの表情である。
だがしかし、セトは頑なに受け取ろうとしない。何故だと聞いても、ただただ頭を下げて
「・・・私には過ぎた代物でございます」
と、繰り返すのみ。
それでは困るのだ。何としてでも受け取って貰わねば。
何故ならそれは、『王子』としての褒美ではなく、『ユギ』としての贈り物なのだから。
業を煮やしたユギはセトの手を引っ掴むと、有無を言わせずリングをはめてしまった。





イライラする。
例えようもなく、どうしようもなく。
自分は何にこんなにイラついているのだ?
王子は「神官セト」を気に入っている。―それは自分にとっても好都合ではないか。―
大層な飾りのついた宝石―いし―も貰った。―寵愛をいただいている証ではないか。―
総て自分の思惑通りに進んでいるではないか。
あの王子を駒にして、内側から徐々に崩していく。いずれは王家を葬り去ること。
自分の思う通りになっているはずなのに、どうしてこんなに落ち着かない?
心の片隅からちりちりと、どうしてこんなに苦しい―――?





「・・・・副官!」
今が禊中であったことに気づいて一瞬視線を泳がせたが、次にはもう「神官セト」を演じている自分がいる。
「どうされましたか?大分お疲れのご様子ですが・・・・」
「いや、大丈夫だ。このまま続ける。」
ここ数日間、セトは神殿にこもりきりだった。大きな祭事が行われるので、
それに向けて、身を清めるのだ。外界との接触は一切絶たれ、数人の神官と共に
泉にその身を浸す。
水温は容赦無くその身から熱を奪い去っていくけれど、どこかちりちりと燻っているから
その涼しさが、今はとても嬉しかった。
(いっそこのまま凍り付いてしまえばいい。)
そうすれば、こんな無駄なことを考えなくてもいいのに。
―――答えはまだ、見つかりそうもない。


「副官!ヘイシーン様がお呼びですが・・。」
禊中のセトに、神官の1人が呼びかける。
「ああ・・明日の祭事のことか・・。」
どうでもいいといった様なその様子に、神官の顔が多少険を帯びてくる。
その表情の変化をセトは見逃さなかった。
セトはまだ若い。その若さ故に、神官長に次ぐ副官という地位にいる自分を妬む者は多い。
現に、今伝達に来た者も、自分よりも遥かに年上だ。下手をすれば一回り以上違う。なんていうこともあるのだ。
「・・・分かった。一通り済ませてからそちらに向かう。下がれ。」
「・・はっ?しかし、ヘイシーン様は今すぐにと・・・」
「聞こえなかったか?・・・私は下がれと言ったんだが。」
暗に邪魔をするなと、底冷えするような冷たい視線で睨まれて、蛇に睨まれた蛙よろしく
その神官は小さく「失礼します」と呟くと、そそくさとその場を去っていった。
「ふん。ヘイシーンの犬めが・・・。」
その言葉には明らかに、侮蔑の意が込められている。
自らの上官ではあるが、尊敬などとは一瞬たりとも思ったことは無い。
むしろ、嫌悪の念の方が強かった。出来得るなれば側には行きたく無い。
しばらく、考え込むかのように黙っていたセトは何かを決意したかのように
勢いよく泉から立ち上がった。
「・・・神官長の元へ上がる。用意を・・。」
利用できるモノは、何だって使ってやる。
それ相応の《代償》が必要だったとしても。
ギブアンドテイク。
そう割り切ってしまえばいい。
その青い双眸が、泉の水面を映してゆらゆらと瞬いた。



神殿へと続く長い廊下を、セトはかなり憂鬱な気持ちで歩いていた。
その足取りは見ている者が分かってしまうほどに重い。
以前から確かに嫌だったが、ここまでひどく嫌悪はしていなかったはず・・・
「・・・一体どうしたというのだ・・・」
まとまりのつかない感情がただ漠然とセトの心の中にあった。
自分の中で何かが変わってしまったようで、ほんの少しだけ怖かった・・。
「・・・・王子・・?」
思い返せば、こうなってしまった自分のおそらく元凶ではないかと思われる人物が
その長い廊下の向こうから歩いてくるのだ。
その姿を確認したとたん、セトはひどく慌てた。
「なんで、こんな所に・・・っ」
別にやましいことが有るわけでもないのに、どこか隠れる所は無いかと
探してしまったくらいだ。
だがしかし、神殿へと続く廊下は真っ直ぐ一本道。
セトの心中むなしく、数秒後にはめざとい王子の瞳によってみつかってしまう。
「セト!」
別にいいのに、わざわざ小走りしてまで来なくっても。
出来ることなら、あのまま、みつからないまま引き返したかったのだから。
「久しいな。元気にしてたか?」
触れることが出来るほど近くに、ユギが駆け寄ってきた。その後ろに護衛が何人か。
「・・明日の祭事に向けての禊中ですので、どうぞお手は触れられませんよう・・」
王子の眼前であり護衛の手前、セトはその膝を床につき大層敬敬しく答えた。
「・・・ああ、そうだったな・・。」
めずらしく、力無く呟くユギの言葉にセトは不思議そうに顔を向けた。
召集されることの方が圧倒的に多いので王族が神殿に足を運ぶこと事体、
かなりめずらしいというのに。
この奥にはヘイシーンがいる。一体どんな用事だったのだろうか?
「どうされましたか?王子?」
後ろについていた護衛の一人が、心配そうに訊ねた。
「・・・いや、何でもない。それより、セト」
ふいに名前を呼ばれて、身体がカッと熱くなるのが分かった。

また、だ。

また何か、もやもやと全身に広がっていく。
今が禊中で良かった。もし今その手で触れられてしまったら、
おそらくその部分から溶けていってしまいそうな程だったから。
「後で俺の部屋に来てくれ。」
セトの耳元で、それだけさっと小声で言うとそのまま振り返らずに
護衛を連れて行ってしまった。
言う方はいいだろうが、言われた方はたまったものではない。
ヘイシーンの所に行くことですらかなり憂鬱だというのに、
追い討ちをかけるようにこのもやもやの元凶まで増えるとは!
「・・今日は厄日だ・・・」
我知らず、ため息とともに呟いた。