青眼2




自分は今、ヘイシーンの部屋の前にいる。最高位の神官長。
「ヘイシーン様に呼ばれて来た。扉を開けよ」


「おお、待ちわびたぞ、セト。さっ、もっと近くへ・・」
こんな奴が神官で一番偉いというのだから、この国はもう終わっているのかもしれないと
ふとセトは思った。まぁ、こんな国なんてもうどうでもいいが。
「痛っ・・・」
また、だ。今度は胸のあたりが痛い。
(痛い・・のか?何故だ・・・)
本当に一体どうしたものか。
理由の分からない感情に振り回されて、かなり疲弊しているような気がする。
はっきり言って、もううんざりだ。
「ヘイシーン様、どうぞ御用を。」
足元に跪き、次の言葉を促す。
うんざりといえばこいつも同じで、一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
「まぁ、そう言うな。・・実はお前にこれを渡しておこうと思ってな。」
そう言って、セトの前に差し出されたモノ。
「・・・?!千年錫杖ではないですか。これを私に・・?」
「そうだ。お前は美しく、頭も切れる。これを持つにふさわしいだろう・・」
さぁ、とばかりに目の前に差し出される。
――――千年錫杖。
これを受け取ってしまえば、自分はもう戻れない。
闇の力を手に入れるまで。
すなわち、王家の滅亡を見届けるまで・・・・。

手を延ばせばいい・・これこそまさに、望んでいた力ではないか。
何をためらうことが在る?手を延ばせ!
自分に必死に言い聞かせて、かたかたと震えていたその手を延ばした。
「神官セト、有り難く頂戴いたします・・」
自分では上手く言えたつもりでも、語尾がわずかに掠れてしまった。
周りには特に気づかれた様子は無かったので、ほっとする。
「ところで、セト・・・」
気を抜いてしまったそのほんの一瞬、不意に腕を捕られた。
いつもであれば難なくかわすのに、気を抜いていたせいで前のめりに倒れ込んでしまう。
ようするに、ヘイシーンに抱き留められる格好である。
「・・・っ!ヘイシーンさま?!」
掴まれている処から、身体中に悪寒が走る。
ざわざわと手に取るように見える程、心が波立っていくのが分かる。
「のう、セトや・・・久方ぶりに会えたのだ。良いであろう?」
今の地位を手に入れるために、何度かこの男の相手をしたことはある。
あるのだが・・・・・
良い・・わけあるか!
ふつふつと、怒りが沸き立っていく。
(俺に・・触るな!!汚らわしいっ!!!)
本当に、自分の自制心を誉めてやりたい。
まぁ、それが出来なければ副官になんてなれなかっただろうけど。
「・・・お戯れはお止めくださいませ・・。今は禊中の身ゆえ・・・」
やんわりと否定をして、切なそうに微笑んでやる。
どんな表情が相手にとって一番有効かなんて、分かりきっているのだから。
「む・・そうか。なれば、明日の祭事が終わったあとにな・・?」
どうやらかなり効き目があったらしく、もうすでにでれでれになっている。
(ふん。簡単なモノだな。男という生き物は・・・。)
自分も同じであるはずなのに、どうしてかやはり嫌悪しか生まれない。
「・・・明日の祭事が無事終わりましたなら・・・」
そう微笑まれて、ヘイシーンは掴んでいた腕を名残惜しそうに離した。
ようやく寒気から解放されたセトは、入って来たときと同様に跪き、
「では、神官セト下がります。」
そう言って一礼し、その部屋を後にした。


かつかつと、長い廊下を歩きながら。千年錫杖はとりあえず脇にしまった。
さてこのまま王子の所にいくか、一度戻るか・・・。
セトは迷っていた。
正直、ヘイシーンに触られたところを洗い流したいくらいだった。
けれど、王子のところへ行っても同じようになるかもしれない。
そうなったら二度手間だ。
「さて、どうするか・・・」
多少悩んで、先に嫌なことを済ませてしまうことに決めた。
王子の部屋に向けてその足を動かすことにした。王宮の奥。俗に後宮と呼ばれる
女たちが住むそこに、王子の部屋はあった。
いつになっても、ここに入るのには慣れない。
女性特有の不躾で詮索好きな視線に晒されていることに耐えられないからだ。
元来、後宮には若い男は入れないことになっている。
しかし何故か自分だけが許されていた。特別に。その事もあってなのかもしれない。
足早にその場所を抜けて、王子の部屋の扉を叩いた。
「神官セト。命により参りました。」
呼びかけて、反応を待つが返答がない。・・・まさかいないのか?
「冗談じゃない・・!」
一度帰ってもう一度来るなんて、本当にうんざりだ。あの後宮を通ることも。
セトは意を決して、その扉を開いた。本来なら許されない行為である。許可なく立ち入るなんて。
中に入って、辺りを見まわす。やはりそれらしき姿は見当たらない。
「・・・っあっ・・の馬鹿王子がっ!」
せっかくわざわざ人が来てやったというのにいないとはどういうことだ?!
怒る気持ち半分に、けれどいないと分かってどこか安心している自分に気づく。
そして何より、がっかりしている自分に。
「・・・っええいっくそっ!」
もうこのイライラやらムカムカやらモヤモヤやらをどうしたらいいのだ?!
・・そうだ。全部、あいつが悪いんだ!!あいつが変なことばっかり言うから・・・!
こうなったら全部あいつのせいにしてやるからな・・・・!!!覚えていろっ!!
そう思って、部屋をあとにしようとくるりと踵をかえして。


心臓が止まるかと思った。
あまりのことにまるで猫のように全身が総毛立つ。
「・・・っ!お・・うじ?・・いっいつからそこに・・」
そのせいで、知らず声が裏返ってしまう。いないと思っていたはずなのに。
王子がいつのまにかそこに立っていたから。
(見られてた?!)
「んー?・・セトの百面相が見れるなんてそうそう無いだろう?・・可愛かったぜ?」
「・・・・・っっっ!!!」
その一言で顔が一気に真っ赤に染まる。俯いて隠そうとするが上手くいかない。
何でか知らないが、いつも自分はこの王子の前で醜態を晒してばっかりだ。
ユギの方も、それを知っているからこそ、わざといないフリをしてみたり。
セトの性格を考えればすごすごおとなしく帰るようなことはしないと分かっていたので。
ゆっくりと側まで近づいて行って・・・。必死に隠そうとしているその手をどける。
「・・・っ王子!!お放しくださいっっ・・・!」
偶然にも先程ヘイシーンに掴まれた処と同じだった、けれど不思議と嫌ではなくて。
「へぇ・・耳まで真っ赤になってる。そんなに驚いたか?」
覗き込まれて。その一言にまたさらに熱が上がった。掴まれている腕が熱い。
そこからふにゃふにゃと力が抜けていってしまいそうだった。
「今時、女でもこんな言葉くらいで赤くなったりしないぜ?お前ホント可愛いな☆」
「・・・・・○△×!!!」
もう何が何だか分からない。
いまだかつて自分のことを可愛いなどとのた打ち回ったのはこいつくらいだ!と。
そしてユギも、セトがこう言う言葉に免疫がないのを承知で言っているのだから。
可愛いと言うだけで、目許まで真っ赤にして。伏し目がちに逸らされたその潤んだ瞳が
とてつもなく色っぽい。
「あーもーホント、可愛いなー・・・・」
ついには腕ではなくて、背中ごと抱きすくめられる。
身長も、おそらく腕の力も自分の方が上のはずなのに何故か振りほどけない。
しばらくはただ、為すがままになっていた。ようやく絞り出すように
「・・・っあすにかかわりますっっ・・おはなしください!」
とりあえず、言いたい事だけなんとか言えた。
「いいぜ分かった。放してやるよ。」
予想外にあっさりと解放してくれたことにちょっと驚いた。普段はもっといろいろと
無茶を言われたりするのだが。
「・・・ところで、何か用事があったのではないのですか?」
何とか体裁を見繕ってユギに向き直る。さすがにもう普段の『セト』に戻っていた。
「ただ会いたかっただけ。」
「・・・・っ!」
また、カッとなる。今度はどちらかというと怒りの方が強いけれど。
「・・・って言ったらどうする?」
口の端しを少しあげて、意地悪くユギが言った。
「・・・〜〜〜っ用が無いのでしたら下がります!!」
もうホントに、ここには居たくないのだ。さっきから振りまわされてばかりで
何が何やら自分で自分がもうめちゃくちゃだからだ。
この際、イライラもムカムカもモヤモヤもどうでもいい。
このままここに居たら、見えない《何か》に囚われてしまいそうで。
とにかく早く、自分を見つめるその瞳から逃れたかった。
「・・・セト。手を出せ。」
「・・?手ですか?」
言われて、右手を差し出す。
「ああ違う。そっちじゃない左手だ。」
違うといわれて、左手を掴まれる。
一体何をされるのかと警戒もしたが、次の瞬間驚愕にその青い瞳が見開かれる。

左手、薬指に赤く輝く宝石。黄金で彩られた指輪。

「・・・・これ・・は・・・?」
思わず放心状態なセト。一体何故自分がこんなものをつけなければならないのか。
「ああ良かった。サイズぴったりだな。それだけ心配だったんだ。」
いや、自分が聞きたいのはそんなことではなくて・・・。
「・・これはなんだ・・?」
あまりのことに言葉が素に戻っているのに気づかない。
「・・?見て分からないか?指輪だけど。」
・・・・・・だからそんなことは言われなくても分かってるわっ!!
理由が分からないまま、困惑した様子でユギの方を睨み返す。
「・・いや、悪い虫がつかない様にさ☆」
悪い・・・虫?
「これをしている限り、お前は俺の物だからな。」
・・・・・・・・????!!!!!
いや、気に入られてるとは思ってはいたがまさか・・・・それはようするに・・・
「・・私に、後宮に上がれと・・・?」
いつものような遊びの延長みたいな行為ではなくて。
本気で自分を側に置きたいと?お前はそう言うのか・・・・・・?
いつ寝首を掻くかもしれないこの俺を・・・か?セトは半ば自嘲気味にその唇を歪めた。
「強制じゃないし、無理強いするつもりもない。・・・・ただ・・
これだけは知っておいて欲しかっただけだ。」
本当に真摯な瞳で。その紅い瞳に吸い込まれそうになる。――指輪の石と、同じ色。
身体が硬直してしまったかのように、その場から一歩も動けなくなって・・・
((今すぐにでもここから逃げ出さなければ!!))


「・・・俺はお前を愛している。」

ただ真っ直ぐなその言葉に。
そのうちにだんだんと、紅い瞳の輪郭がゆらゆらとぼやけて来ている事に気づいた。
((早く・・・早く、逃げ出さなければ・・・!!!))
理由の分からない感情で縛られてしまっている身体を、理性で無理やりにでも動かそうとする。
この男の前でだけは、自らの誇りにかけてもどうしても泣くわけにはいかなかったのだ。
それが自分にとっても最後の砦―誇り―だと思っているのだから・・・。


「・・・・っっお・れは・・お前・・なんか大っ嫌いだっ・・・!」
零れ落ちそうになる涙を必死に呑み込んで、引き留める声も無視して。
振り返ることもなくそのまま部屋から飛び出した。・・・いや、逃げ出したと言うべきか。
理性では無駄なことと判りきっているのに、感情が勝手に暴走をはじめて。
(泣けばきっと、止まらなくなる・・・!)
一瞬でも気を抜くと、理性が無意味な感情に押し潰されてそれに引きずられそうになる。
もがいても足掻いても、所詮はどうにもならないというのに。


今更だ。今更どうなるというのだ?もうこの手の中には闇の力の断片が握られている。
迷うことは何もないはず。その力に導かれるままに、召喚すればいいのだ。闇の王を。
今までと同じように、邪魔な奴は消せばいいだけのことだろう?
何をためらうことがあるのだ・・・?
お前は闇の末裔だろう?
判りきっていることだ。あれは・・・『敵』なのだから・・・・・。

なのに何故?
ぼろぼろと涙が止まらなかった。
自分の部屋に戻っても。
空の色が暗い闇から薄い青に変わる頃になっても・・・。
悲しいわけでもないのに、ただただその頬を流れ落ちていくだけで。
これが無意味な感情による幻だというのなら。
いっそ、その感情―こころ―ごと砕けてしまえ。自分にはもう必要もないのだから。
そうして。ようやく涙を零すのを止めたその虚ろな青い瞳は、白み始めた空を映して
ふらふらと宙をさまよっていた・・・・。


「・・・着替えなくては・・・・」
もそもそと、いつもの反復動作に促されるままに。漠然とする頭の中で考える。
闇の召喚式は、おそらく今日の祭事の間に執り行われる。
どこもかしこもお祭り騒ぎで、他人に構ってなんかいられないはず。
きっとそのために自分に千年アイテムを渡したのだろうから。
多分、へイシーンはこれらのアイテムの持つ力を良くわかっていない。
知っているのは、思うところ自分唯一人。
神官用の礼服へと着替えて、自室を後にする。
「もう、戻ってこないかもしれないな・・・」
ふと考えて、今一度部屋に戻った。
無造作に置かれている様々な石版のなかに、ぽつんと置かれた箱。
そっと拾い上げて、なかにあったそれを取り出す。
二つともユギに貰ったものだ。
身につけるわけにはいかないし、かといって捨てることも出来なかった。
自分で放り投げておいて、どうしても気になって仕方がなかった赤と青の宝石たち。
「・・・一緒に・・いくか?・・」
おそらく自分から身につけるのは最初で最後・・・。
ユギは何を思ってこれを自分によこしたのか。
神殿へと続く道を歩きながら、太陽の光を映してきらきらと輝く宝石を見つめる。
本当に自分のことを想って――?
だとしたら傑作だ。闇の力を手にすれば、こんな物もう本当に必要がなくなるのだからな。
「ふん。・・・・やっぱりお前は大馬鹿だ。」
誰知らずひとりごちて。瞳を上げたその表情には笑みすら浮かんでいた。