月読11




腕の中に抱いていた白き鳥が、何かを伝えるようにはためく。
「・・・・王、が?」
こちらへ向かっているのだと、そんな風に聞こえた気がした。
ばさっと大きな翼を広げて、暗闇に舞い上がる。
自らの役目を終えたのか、白き鳥は光に変わり、そのまますぅっと空中に姿を消した。
そうして辺りにはまた、しんとした静寂と闇が訪れる。
けれど、もう。
このまま立ち止っているわけにはいかない。
いつも迷うことなく、ただまっすぐに伸ばされる手。自分を呼ぶ声があるのなら、それに応えたかった。
(・・・・・・)
何かを決めたように、きゅっと堅く口を引き結んで、ゆっくりと立ち上がる。
「帰んのか?」
「・・・・・」
背中越しにかけられた言葉に一瞬立ち止まるが、否定も肯定もせず振り返りもせずに、歩き出す。
「待てよ別嬪さん!あんた、名前は?」
後ろ手に、強引に腕を取って自分の方を向かせる。
向けられた、その瞳の放つ強い輝きに、思わず息を飲んだ。
(っ・・・―――!)
なんて深い、澄んだ、青。
何者にも屈しない強い意志を宿した瞳。その輝きに吸い込まれてしまいそうなほどに。


「俺はバクラ、だ。盗賊王バクラ様な」
得意げに口元を歪めて、ニィっと嗤いながら。
自らを王と名乗るその大胆不敵さが、なんとも彼らしかった。
(盗・・賊・・)
名を聞こうとするのなら、まず自分から名を名乗れと言おうとしたのに、
どうやらそれは、通じなくなってしまったようだ。
盗賊ごときに名乗る名などないと、拒絶することも出来たけれど。
「・・・・・・セト、だ」
考えるように少し間を置いてから、小さくそう返す。
「セト・・?」
聞こえた名前に覚えがあって、意識を巡らせながら聞き返した。
問いかけに、こくりと頷くことで返される肯定。
(セト、って確か・・・)
世界の理を現す生命の樹に示される、エジプト第九柱神に数えられるひとり。
神々の名を冠することは、その身が王族であることを意味する。
(それっ・・て・・・)


セト神はその強さがファラオの強さと言われた程。
『偉大なる強さ』その一言で現されるぐらいに、猛々しい強大な力を持つとされた。
彼の力を手に入れた者は、天をも支配するだろうとさえ謳われた、天空を駆け雷を降らせる嵐の神。
古代王朝初期には王の守護として、うやうやしく祀られていたこともあった。
けれどある時期を境に、人々の勝手な心変わりから、徐々に蔑まれるようになっていく。
ただ何よりも、気高くあるだけなのに。
『私は、誰に従うつもりもない』
絆を断ち切るために、静かに呟かれた言葉。
強すぎる力ゆえにその身を疎まれ、神々の元から追放されたとしても
光の届かない冥府にその身を堕とされて尚、より一層強く。
深い絶望は嘆きを喚び、耐え難い孤独は悲しみを生み落とした。
『つまらぬ、世界だ』
すべてが無くなればいいと、やがて怒りに変わる狂った歯車。運命に導かれるように繰り返される悲劇。
痛ましいほどに、その身を切り裂こうとする想いのかたち。
「・・・っ!!」
まるでシンクロするかのごとく重なる影が見える。
振り向いて感情を押し殺したまま、鮮やかに笑うあの赤い瞳は――



「もう、いいのなら離せ」
名を聞いたまま固まってしまっているバクラを一瞥してから、
掴まれている左腕に力をこめて振り払おうとする。
「っと・・」
その腕を思いっきりぐいっと引いて自分の方へと引き寄せる。
「?!なっ」
急に強い力で引っ張られたせいで、バランスを崩した身体が前のめりに倒れこんだ。
腰に回された手に支えられて、こける様なことにはならなかったが、
自然、バクラの腕の中にすっぽり収まるような格好になる。
「はい、着地」
「・・・このっ・・!はな・・っ――!」
抱き寄せて間近で怒鳴る口を塞いで、そのまま強引に奪う。
(結界、消えてんな・・)
触れる柔らかい唇の感触。逃げる舌先を絡め取ってきつく吸い上げた。
「うっ・・・」
身を捩ってその腕から逃れようとするけれど、腰に回された手と、頭の後ろに回された手がそれを許さない。
「・・っ!!」
伝わってくる熱に息継ぎするのも苦しいくらいに深く蹂躙されて、息苦しさに目尻には涙が浮かんだ。
上気した頬がうっすらと薄紅色に染まる。
「はっ・・ぁ・・はっ・・」
上がってしまった呼吸で荒く息を繰り返しながら、
両手で庇うように口に手を当てて、きつく目の前の男を睨みかえした。
「この・・・っ・・!」
「真っ当な報酬だと思うぜ?ん?」
「・・・くっ」
結果、至近距離で見つめあう形になってしまったせいか、ふいっと逸らされた首筋に、
誘われるように顔を埋めた。
「!!!・・はな・・せっ貴様!!」
熱を帯びた肌に軽く歯を当てて、痕を残すように甘噛みする。
「・・っあ!」
直に肌を這う舌の感触に、堪らずあえやかな声が零れた。
「やっ・・うっ・・」
いくつかの印を刻んで、名残惜しそうに微かに震える肌を離す。
「今回はこれでチャラにしてやるよ。次に会うのが楽しみだな」
ごちそうさまでした。とでも言わんばかりに耳元で囁くように呟いた後、
チュッと軽く頬にキスをして拘束していた両腕を解放する。
「〜〜〜〜つ・・次などあるか!!」
真っ赤になって怒鳴りながら、バシッとバクラの腕を払いのけて後ずさる。
猫のように威嚇するその仕草に、思わず顔がにやけてしまった。
「あんた可愛いな。その気の強さ、好きだぜ」
「〜〜〜・・っ黙れ、この!!恥を知れぇっ!!!」
毛を逆立てたまま逃げるように踵を返し、足早にその場から立ち去っていく。
「またな!」
振り返らない背中に言葉を投げかけて、走り去る後ろ姿を見送った。
遠ざかっていく背中の向こうに見える人影に、目を細める。
白き鳥を従える神の守護を受けた者。
(あれが王サマ、か。ずいぶん若いじゃねぇか)
「さぁて、どうでるかねぇ」
着せかえた服は思いっきり引き千切ったし、分かっていてあえて嫌がらせのごとく
その肌にはいくつもの痕跡を残した。
(まぁ・・ありゃあ、手放せねぇだろうなぁ・・・)
ククッと楽しそうに、口元に笑みを浮かべながらひとりごちた。
すぐ傍らに置いて、ずっといじり倒していたくなる。
あの負けん気の強いところもいいが、手のひらに吸いつくような肌の感触を
もっと味わっていたくなった。
そして何よりも、あの瞳。
(そそるねぇ・・)

「オレ様も帰るか。行くぞディアバウンド」
光に背を向け精霊を従えて、闇に紛れるようにその姿をすぅっと隠す。
「楽しく、なりそうだぜ。・・・・・復讐劇の、幕開けだ」

意味深に呟かれた言葉は砂の風にかき消されて、すぐ先にいる二人の耳に届くことはなかった。