月読12




(確かこの辺りのはずなんだが・・・)
白き鳥の反応があった場所を思い出す様に、手綱を緩めながらゆっくりと馬を進めた。
乾いた白い砂の大地に、むき出しの岩壁が立ち並ぶ。
国土の90%近くを熱砂に覆われ、照り返す太陽の光がその身を焦がす灼熱の国。
ナイル川がもたらす水の恵みが、この世の奇跡と謳われる所以である。
サラサラと音をたてて、風に乗って砂が舞い上がった。
「!」
ひと際強く吹いた風に、その腕で庇いながら目を細める。
空に、舞い上がる。
その向こうに見える、こちらへ歩いてくる人影に。
身に纏っているのであろう白い衣が、風にたなびいて幽玄なシルエットを作り出す。
光を弾く柔らかい白い布地に、細やかな飾り細工の入った衣装。
胸元に金の留め具で飾られているそれはまるで、歴代のエジプト王妃の正装のようで。
「・・・セ・・ト?・・・お前・・どうした、その格好・・・」
あまりのことに、安否を心配するよりもまず、そんな言葉が口をついて出てしまった。
整った顔立ちをしているから、どことなく中性的だと感じることはあったが、不思議と思うほど違和感がないことに驚く。
「・・・・・」
答えたくないのか口を真一文字に引き結んだまま不機嫌そうに、下からジッと睨むように見返してくる青い輝き。
一度こうなってしまったセトは頑として譲ろうとはしない。
(やれやれ・・)
そういえば、セトの実の母君も相当な美しさの持ち主だったのを思い出した。
俺の母と違って、陰で王を支えていることの方が多かったせいか表舞台に出ることは殆んどなかったけれど。
時に優しく、時に厳しく。柔らかく微笑う面影を母として慕っていた。
(あの方も、頑固だったな・・)
セトはきっと母親似なのだろう。
母親譲りの美貌に、何者にも屈しない気高さを秘めて。
そしてその身に流れるのは紛れもなく、王家の血。
「・・・・・似合ってるぞ?」
とりあえず自分の思った感想を率直に口にしてみる。
こんな姿、たとえ望んだとしても滅多に見られるものではない。
もしもセトが女であったのなら、有無を言わさず今すぐにでも正妃に迎えるというのに。
「・・・うるさい・・黙れ・・」
こちらを睨む視線がより一層険しいものに変わる。
苦々しく呟かれた言葉が、自らが望んだことではないということだけを伝えていた。
今この場で素っ裸になるわけにもいかないだろうから、
その格好が明らかに不本意なのだと分かるくらい憮然とした表情で。
(しかし・・・)
ところどころ引き千切れた見覚えのない服、何故こんな場所にいるのか、
あの葬祭殿で一体何があったのか。
聞きたいことは山のようにあるのだが、頑なに拒むのならばそれ以上の詮索はしなかった。
小さくため息をついて、ゆっくりと手を差し伸べる。
「王都へ帰ろう。・・来い」
「・・・貴様の手を借りずとも一人で乗れるわっ」
伸ばされた手をバシッと払いのける。
「その格好で馬に跨るつもりか?」
両脇に深く切れ目の入った衣服。好き好んでそんな格好になったわけではないだろうが。
「そんな服で跨ったら、上まで捲れあがってもろに見えるぞ」
お前がそれでもいいんなら構わないが、と。
今でさえ、時折吹いてくる風に素足が晒されて目の毒すぎる。
「ぐっ・・・」
手を差し伸べてくる王の顔と自らの格好を何度か見比べて、考え込むようにしばし逡巡したあと、渋々とその手を取った。
強い力で引かれ、王の前に横向きに座るような形で腰を下ろす。
さりげなく背中を支えてくる腕に、どうにも不本意ではあるが半ば諦めるようにその身体を預けた。
「被ってろ、いくらかマシだろう」
自らの羽織っていたマントをはずしてセトに掛けてやる。
「べっ・・別に・・っ」
こんなものなくても大丈夫だと、そう言いかけて見上げた視線が合う。
「ん?」
心配気に柔らかく笑いながらすぐ傍で自分にだけ向けられる眼差し。
「!!!」
どくん。
何故か急に跳ね上がった自らの心音に驚いて、思わずその言葉を飲み込んだ。
顔が火照るように熱い。熱がカーッと上がっていくのが分かる。
(なんなのだ・・・これは・・)
守る様に優しく包み込んでくるそれに慌てて顔を埋めながら、きつく握りしめる。
「セト?」
「・・・・・っ」
こういう行動を自然にするような奴だからいつもいつも歯がゆい想いをするのだ。
素直に礼を言うことすらままならない自分にも。
「しっかり掴まっていろ。陽が高くなる前に戻りたいから少し飛ばすぞ?」
「・・・・」
そう言って腕の中にある身体を強く抱き寄せ自らの肩に腕を回させる。
無言のまま、仕方がないと言わんばかりにたどたどしく回された手に、ぎゅっと力が入ったのを確認したあと
手綱を強く引いて馬を走らせた。



俯いてしまっているため、セトの表情は見えない。
交わす言葉もないから、何をどう思っているのかさえも分からない。
そのまましばらくの間、沈黙だけが続いた。
行きに越えた川を渡り終え、平原を駆け抜ける。
町に寄ることもなく早駆けしてきたこともあってか、もう少しで王都が見えてきそうな程だった。
その頃になってようやくセトがぽつりと小さく口を開いた。
「・・・・・目的の物はあったのか?」
「ん?・・・ああ、おそらくこれのことだと思う」
首からかけている千年錘を手に取って、セトに見せてやる。
逆ピラミッドの形をして、正面には真実の眼が刻み込まれた正四角錘のそれ。
どんな力が秘められているのかは今はまだ分からなかったが。
「・・・・そうか」
あまり興味がなさそうにその手を離す。
向けられた視線が伏せられ、そうしてまた、二人の間に重苦しい沈黙が訪れた。
その静寂に耐えかねるように今度は王が口を開いた。
「もうすぐで王都に着くだろうから、帰ったら二人で湯浴みでもしようか!」
ことさら明るく『二人で』を強調して、むしろふざけるなと罵声が飛んでくるのを覚悟して言ったのだが。
(あれ・・?)
「・・・・・」
腕の中から見上げてくる青い双眸。
怒るわけでもなくただ静かに呟かれた言葉は。
「あの鳥、やはり貴様か?・・・・勝手に、ああいうことするな」
「・・・・あー・・・・でもどうせ言っても嫌がるだろうお前は」
「嫌だ」
取りつく島もない程きっぱりとした返答に、うーん、やっぱりな、と頭を抱える。
「好きな相手を守りたいと思うのは普通だと思うがな・・・まぁ、そんなに嫌なら・・・」
残念そうに苦笑いを浮かべながら、次はもうしないから、と言いかけて。
「嫌なのだ・・・」
それを遮るように、ぽつりぽつりと小さな呟きが聞こえる。
「また・・・・お前が、傷つくのだろう」
だから守ろうとなんてしなくていい、と。
目の前で傷ついて倒れる姿を見せられるくらいならば、いっそ放っておいて欲しかった。
止めなければきっとこいつは、自らを盾にしてまでも守ろうとするかもしれない。
「・・・・・」
けれどそれは、臣下である自分こその役目だと思う。
王の盾となり、この国を守るために。
今までそのためだけに、生かされてきたのだから。
だからきっと、この感情は違うはずなのだ。
好きだから守りたいなどとそんな甘ったるい感情では決してないはずで・・。
「さっきの鳥・・背に、大きな傷痕があった・・」
「・・・・思い出したのか?」
「・・・・・」
無言は肯定の意味。
「セト・・・それは・・・・あなたの事がとても心配です・・って聞こえるんだが・・」
「?!ちっちが・・!違うぞ?これは俺の義務であるべきで・・っ!〜〜〜貴様、俺の記憶をどこまで知っている?他にもあるのならば言え!」
しどろもどろになりながら下から睨み上げてくる視線が詰め寄る。
「はぁ?何を言ってるんだお前は・・・・。ああ、そうだなぁ・・先程の葬祭殿で何が起こったのか、俺に話すというのなら俺も教えようか」
「・・・っ!・・・卑怯、だぞ」
自分でも何が起こったのかいまだよく把握出来ていないことを上手く説明できるわけがない。
「・・・・くっ」
しかも相手がこの男ならば尚更だ。
生半可なウソではきっとことごとく見破られてしまうだろう。
「・・じゃあダメだな。」
そう言って、不貞腐れてしまったその顔を抱き寄せて、額に優しくキスを落とす。
「っっ!!はぐらかすなっ!!!」
「そう暴れるなって。時がきたら、必ず伝えるから・・・。ほら、サティがびっくりするだろう」
「・・・?・・サティってこの馬の名前か?」
「あんまりあからさまにつけるとアレかと思って。セト→セティ→サティだ。どうだ可愛いだろう」
ちなみに牝馬だぞ。と、とても満足気に付け加えて。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!今!すぐに!!変更しろっ!!!」
「だから暴れるなって・・・」
腕の中にあるその身体を抱き寄せて、半ば強引に真っ赤になって怒鳴る唇を塞いだ。
「!!!」
少し離れていただけなのに、そのすべてが愛おしくてたまらない。
柔らかく啄ばむようにその唇を味わう。
「っう・・ん」
舌を絡めて強く吸い上げると、背筋がびくりと震えるのが分かった。
はじめは小さく抵抗を見せていた腕から力が抜けて、熱に委ねるように身体を預けてくる。
「んっ・・・っ――」
(なんでこんな・・)
頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなる。
優しく触れてくる唇の感触に、
滑り込んでくる舌の動きに、
脳髄が甘く痺れるような感覚に侵されていく。
自分の中にそんな感情があるはずなんてないと、ずっとそう思っていた。
けれど。
(俺は・・こいつ、が・・・・?)
絡め取られ浸食されていく熱が、その熱さと与えられる心地よさが、確かにその想いがここにあるのだと伝えてくる。
もっと触れていて欲しい。・・自分のすぐ傍で。
ずっと腕の中に、抱いていて欲しい。
こんなにも貪欲な想いが自分の中にもあるのだとは思わなかった。
(・・・いや・・だ)
認めたくない。
なのに。
「ふっ・・・」
何か、よく分からないまま涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
いつから自分はこんなにも、弱い人間になってしまったのだろうか。
「セト・・?どうした―?」
腕の中に抱いたまま額や頬にもキスを落とす。潤んだその瞳にも優しく口づけて。
「うっ・・うるさいっ何でもないっ!」
「ならばいいが・・」
あやすように絡めてきた指先をきつく握り返して、ゆっくりと降りてきた唇をもう一度重ねる。
瞳を閉じて、深く、深く、確かめ合うように。
「・・・・・」



苦しくて、息が出来ないくらいに胸が痛くて、つらい。
気づきたくなんて、なかったのに。
わかってた
もう、わかってた。
もうずっと、あの時から囚われているのだ。
躊躇うことなく差し伸べられる手が、やわらかく向けられる眼差しが、
ひとりきりの自分に、どんなに嬉しかったか・・・