月読13




あの時。
セトは人の命を奪うようなことはしなかった。
大いなる悲しみは壊れるほどの嘆きを喚び、深すぎる孤独は絶望に呑みこまれた。
暴走した力で、絶望の嘆きで、ただ全てを終わらせたいとだけ願った。
自らの身を、その力で切り裂くことで。
俺には、それがどうしても許せなかった。
すべてを捨てるというのなら、そのすべてが欲しいと思った。
守りたい、と――
頭で考えるよりも早く、身体が勝手に動いていた。
その身を庇って、自らの背には大きな傷痕が残ったけれども
自分には誇りのようなものだとさえ思えたのだ。
目の前で今にも壊れそうな大切な人を守ることが出来たのだから。
忘れていた方が幸せだったのかもしれない。
きっとこの背の痕を見るたびに、傷ついた顔をすることだろう。
これは自分が望んでついた傷だというのに。
誰でもない、俺自身が望んだのだ。その力のすべてを受け止める、と。
生きるのが辛いと泣いたお前に、それでも生きていて欲しいと願った俺の。




ツクヨミ13




「王都が見えてきたな」
眼前に、雄大に広がる難攻不落の城壁に囲まれた巨大都市。
古代エジプトの歴史の中でも最高の繁栄と栄華を誇る、王都テーベである。
その中には、テーベの象徴とまでされる、広大な敷地に建設された
カルナックのアメン大神殿を擁していた。
戦争や侵略の絶えぬ不安定な時代に、セトの魔力を利用して、
その力を神殿の礎にしようとする考えも分からなくはなかった。
(もっと簡単なものかと思っていたんだがな・・)
この旅ですら、神殿側から今回だけという制約つきで、どうにか連れ出すことに成功したくらいなのだから。
神への貢物という名目で私腹に肥えた神官共。
王権側と神殿側で、ほぼ二分する程の権力バランスの中で、ある意味セトの潜在的な力に
早期から気が付いていた神殿側も侮りがたいというところか。
あの一件を期に、引き止める術もなく強引に奪われてしまった。
「戻りたいか?あの場所に」
「・・・・・神官は、神殿に在るべきだろうが」
今更何をと、諦めるように溜め息まじりにこぼす身体を抱き寄せながら言葉を続ける。
「それを望むのなら好きにさせてやるつもりだったが、安心した。王都に戻ったらお前を六神官に加えるつもりだ」
先の大戦で失われてから、いまだ空席のままである最後のひとりに。
王の元に残された、千年錫杖と共に。
「?!」
思いがけない言葉に、驚きのあまり見開かれた青い瞳が見上げてくる。
鳩が豆鉄砲を食らったような、こんな表情のセトを見るのは初めてかもしれない。
「俺はまだ、精霊も呼べないんだぞ・・?」
頭の中で反芻される言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。
自分にはそれを受ける資格などないのだと、ずっとそう思っていたから。
「構わない。俺の傍にいろ」
してやったりとばかりに満足げに笑いながら、証にとその唇に軽くキスを落とす。
「異論は認めぬ。・・・その力、すべて我に捧げよ」
六神官は、王の右腕として王を守護する代わりに、それぞれに独立した地位と権力が与えられていた。
それは長い間、その身を縛り続けていた大神殿からの解放を意味する。
少しずつ封印が弱まってきている今、やがてその身に精霊が戻る日も近いことだろう。
「すまないな、遅くなって」
「・・・・っ」
初めて聴く、王としての言葉は力強く響いた。
自分をただまっすぐに見つめてくる瞳に。
頭上から詫びるように落とされた言葉に、戸惑っていた感情が堰を切って溢れだす。
どうにも抑えきれずにこぼれ落ちた涙が咽喉に詰まって、弱弱しく頭を振る事くらいしか出来なかった。
「セト・・?泣いているのか?」
「!!・・ちっ・・・ちがっ・・っ泣いてなどいないっっ!」
顎を掴まれて覗きこんできたその顔を、反射的に思いっきり殴り返した。
「いっ・・痛〜っ・・」
そりゃないぜとばかりに非難めいた瞳に
「自業自得だ!」
一瞬でも見られたことへの恥ずかしさからか、思わずそんな言葉で誤魔化して、
ふと、今までのごたごたで、忘れてしまいそうになっていたが、
伝えなければならないことがあることを思い出した。
「・・そういえば、王都に着く前に言っておかねばならぬことがある」
「なんだ?愛の告白か?」
それならいつでも大歓迎だぜ☆と言わんばかりに両手を広げながら準備OK!状態なファラオ。
間髪いれずにセトの右手がその顔面にクリーンヒットしたのは言うまでもなく。

「今、本気で殴っただろう・・・」
赤くなってしまった頬を擦りながら若干涙目で呟く。
「貴様がふざけた事を言うからだ・・」
人が真剣な話をしようとしているのにと、拳をわなわなと震わせながら、低く呻くように。
自分で自分が嫌になるくらいに複雑な感情が渦巻く。
その言動いちいちに、驚くほどに心を乱されるのだ。
思わずため息が口をついて出た。
(なんで、こいつなんだ・・・)
「聞け」
真面目に取り合わないその胸倉を掴んで自分の方を向かせる。
マハード辺りが見たら、王になんて事を!と絶叫されてもおかしくない体勢だ。
「山賊まがいの奴らが使ってた枷があっただろう。あれはおもに祭事以外の限られた儀式に用いられる物だ」
自分を拘束するために嵌められた魔力封じの枷。
おそらく限られた一部の者にしか手に入れられない物。
まかり間違っても、あんな奴らがそう簡単に手に出来る代物ではない。
王の命を狙う者が、そのすぐ傍にいるかもしれないということを。
「誰かが裏で手引きをして、あいつらにわざと俺たちを襲わせたのかもしれない」
その証拠ではないが、王家の谷に数ある王墓の中から、自分たちが向かう先の場所で待ち伏せられていたのも気に掛かる。
そして明らかに、王、だけを狙っていたことも。
「ああ・・・なんとなくわかっていた」
おおかた、素性も理由も聞かされずに金だけ渡されて、俺を殺せとでも命令されていたんだろう。
オベリスクを召喚した時の、あの驚き方を見れば分かる。
「?!・・命を狙う者がすぐ傍にいるのかもしれないんだぞ?!」
「まぁ、少し肩の力を抜けって・・。まったくお前は根が生真面目すぎる・・」
「貴様がゆるすぎるのだ!」
がなりたてる剣幕の自分を諌めるように、手のひらで包むように顔の輪郭に触れてくる。
「っ?!」
気恥ずかしさからか、触れてくる手をどけようと王の腕を掴むがびくともしない。
こつんと合わされた額を、そのまま上目遣いに見上げる。
自分を安心させるように柔らかく笑う瞳。
「――っ!」
時折、驚くほど大人びた表情で笑うから、王が自分より年下だということを、つい忘れそうになる。

「この旅に出る時から、覚悟はしていたことだ」
先王が、身罷られた時から。
広大な領土に、他国を圧倒する強大な軍事力、そして、制圧した国々を含む莫大な財力。
それらを統べるこの国の王となることが決まったあの日から。
自らの命が危険にさらされることなど、とうに分かりきっていたことだ。
むしろ幼少期からその前兆はあったのだ。
ただひとり、王の直系の血を引く正統な後継ぎとして、命を狙われたことも少なくない。
その度に、持ち前の強運とタクティクスでかいくぐってきたことは言うまでもないが。
(あれはあれで面白かったがな)
それさえも楽しんでしまえるほどの余裕を見せる。
マハードを筆頭に絶大な信頼を寄せる、自らを守る忠実な下僕の存在も大きい。
王権自体にはそこまで執着があるわけでもないから、乾いた玉座など、誰にくれてやっても良いと思っていた。
だが、自分の命までくれてやるつもりは毛頭ない。
「そんなに心配そうな顔をするな。大丈夫だから」
「〜〜〜っ誰も、心配などしとらんわっ!!」
思いっきり腕を払いのけた反動で、体勢がぐらりと傾いた。
馬上であることを一瞬失念した自分に軽く舌打ちする。
「っ!」
「セト!」
重力に従って、転げ落ちそうになったところを寸でのところで王の腕に支えられる。
さすがにこの高さから落ちたらまずいと、伸ばした腕でその背中にしがみついた。
「おまっ・・・・っしん・・ぞうに悪い・・」
「・・・・・」
がっちりときつく両腕に抱きすくめられて、息苦しさに軽く身じろぐ。
背中に回した腕で王の服を引っ張って、小さく抗議の声を上げた。
「・・・おい、くる・・し・・い・・・」
「頼むから、あんまり無茶するな・・・・」
これでは命がいくつあっても足りないと、そう思いながら抱く腕を緩める。
むしろ自分の方が、心配しすぎなのではないかと思うくらいに。
「・・・・・」
さすがにバツが悪いのか、視線を逸らしたまま何も言わずに、おとなしく身体を預けてきた。



王都の正門が、もう間近に見えている。
これから起こりうる事態を考えると、あまり呑気なことも言っていられないが、それでも二人一緒ならばそれも悪くないと思ってしまう。
父王から託されたこの千年パズルとともに。

永遠にエジプトの繁栄を願う。
肌を撫ぜていく悠久の風が、新たなる王の帰還を祝福していた。





とりあえずここで一旦一区切りということで。
長らくお付き合いいただき、心より感謝いたします!ありがとうございました!