月読2




「王子!起きてくだされ王子!」
ドンドンと扉をたたく音とともに、シモンの声が聞こえる。
「起きてるぞシモン」
寝台の上、気だるそうに上体を起こしながらそう答える。
隣には、規則的に寝息をたてて横たわるセトの姿があった。
(・・・さすがに見られたらまずいか・・)
その肌はいまだ白いままである。
寝台の天蓋の布を周りにおろして、姿が見えない様に覆い隠した。
「入ってきていいぞ」
寝台から降りて、置いてあった水瓶からグラスに移す。
口元に運んで、喉を潤した。
「失礼します、王子。いえファラオ」
その呼び名に、父が亡くなったのだと、悲しいほどに痛感させられる。

「・・・・まだ、王子でいい」
父王の葬儀が無事に終わるまでは。

「それよりどうしたんだ?」
自分は王の葬儀に立ち会うことは許されていない。
王の葬儀は密儀であり、高位の役人と神官たちの手によって執り行われるからである。
「・・・先王からのご伝言を・・」
「父上からの・・?」

「王、眠りし聖域にて、王の証を手にせよ――」

王の証
それは紛れもなくあの千年錐のことであろう。
先の大戦で、敵軍を破りこの国を守ったと聞かされた。
(王、眠りし聖域・・・)
「王家の谷・・・・」
王家の谷は、その両側を切り立った深い崖に囲まれた絶対不可侵の領域。
死者を安息の眠りに誘い、生者を死の淵へと誘う――

(悲しんでいる暇は、ない・・・か)
「行かれますか・・王子」
危険だとわかっていても、
それが父上の遺志とあらば。
「共はどう・・・」
「いや、共はいらぬ。俺ひとりで行く。」
これは自分に課せられた使命。他の者を巻き込みたくない。
「なっ何を申されるかっ!危険ですぞ!」
「危険ならば、なおさらだ」
「しかし・・」
シモンとて、王子を一人で行かせるわけにはいかない。

「・・・お前たちには、この国を守ってほしい。」
王が不在となってしまった今、自分が王として戻るまで。
「王子・・・」
「しばらくの間、まかせるぞ。」
その表情には、絶対的な王としての威厳すら漂う。
他の者を圧倒する、強き瞳―――


「・・・・わかりました。くれぐれもご無理なさらぬ様・・・」
「わかってるって。・・・ああシモン、ついでで悪いが何か口当たりのいい物でも持ってきれくれ」
そういった王子の表情は、すでに普段の飄々としたものに戻ってしまっていた。
「わかりました。すぐ女官に運ばせましょう。」
(この方は本当に、底が計り知れん・・)






父上のご遺志は俺には分からないけれど。
そこに答えとするものがあるのならば・・行かなくてはならない。
「・・・ファラオ?」
「ああ、起きたか」
サラサラと衣擦れの音がして、寝台の上からセトが顔を覗かせる。
「おひとりで、どちらに行かれると?」
途中からではあるが、二人の話し声が聞こえて
「いや、まぁなんだほら・・」
セトの射抜くような視線が刺さる。


「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました。」
先程、シモンに頼んであったものが、何人かの女官たちの手によって運ばれてきた。
「ああ、そこに置いてくれ」
「・・・ファラオ・・・」
「ほらセト、これお前好きだっただろ!」
話を逸らそうとする王に、憮然とした眼差しを向ける。
「・・・・・・・」
なんというか、この、沈黙が痛い。



「・・・・俺が行こう。」
寝台から降りて、王のいる食台に足を進める。
「・・・?!」
素肌に金の装飾具だけつけたままのセトも美しかったが、
真白い神官衣に身を包み、流れる様な動作で歩くセトの姿も美しい。

などと、呑気に考えている場合ではないが。
「俺ならばお前の足手まといにはならんだろう」
下手な要職についているわけでもないしな、と。
確かに、最高クラスの魔力を持っていることは、まず間違いない。
だが、
「危険・・だぞ?」
「貴様、危険だとわかっている場所にのこのこ一人で行くつもりかっ」
食台に思い切りよく手をついて、怒りを露わにする。
(・・・これはまさか・・・・・・・)
「セト・・俺のこと心配して・・」
「?!か・・・勘違いするなっ!貴様が本当に王に相応しいか、見届けるためだっ」
目の前で真っ赤になって反論してくる、その姿に。
柔らかく目を細めて、本当に愛おしそうに

「分かった、じゃあ一緒に行こう」

そう、呟いた。