月読3




王家の谷は首都から西、ナイル川西岸の高台にある。
ナイル川東岸は、生者の都。そして西岸は、死者の眠る都とされる。
ぐるりと迂回して行かなくてはならないため、丸一日はかかるだろう。



それを告げられてから、二日後。着々と準備が進められていた。
「水に、着替えと薬と・・」
セトが横でブツブツ言いながら、荷物のチェックをしている。
シモンがあらかた用意はしてくれているが、きちんと確認しないと気が済まないらしい。
「セト、それくらいにして地図の確認をしておこう」
馬のことも考えて、町を中継して行くことにきめた。
多少時間はかかってしまうがその方が安全でもある。
「最初の町はここだな・・」
こんなことを思うのは不謹慎かもしれないが・・・
たまにはこんな風に二人で旅をするのも面白いかもしれない。
いろいろな国をめぐって、その地に生きる民の暮らしを見るのも。

だが、王の座に就いたら、おそらくもうその機会も・・




「町中に降りるから、このままの格好ではさすがにまずいな・・」
明らかに上質な布と、おそらく一般の者では一生付けることの許されないであろう装飾具。
「全部はずしてっと。」
そう言って、早着替えのごとく亜麻で織られた服に手を通す。
どこからどう見てもただの庶民にしか見えない・・。
「お前も早く着がえろよ?」
用意された服と睨めっこしたままのセトを促す。
「しかし・・・」
(なんでこいつはこんなに着慣れているんだ・・・・)
神官衣からも分かるとおり、肌を露出させること自体あまりないことである。
いくら上下に分かれているとはいえ、素足を晒すことには些か抵抗があった。
「・・・いいじゃないか、足綺麗なんだし。」
「そーいう問題じゃないわぁああ」
なんで考えていたことが分かったのかが不思議であったが。
「顔に出てるぞ」
(また・・・)
自分はそんな怪訝そうな顔をしているのだろうか・・


「後、名前もか・・・ないと不便だろ」
確かに町中でファラオと呼ぶわけにはいかない。
それだけでも大混乱になりかねなかった。
「よし、俺のことはユウギだ」
「ユウギ・・?」
いまいち聞きなれない言葉の発音に、不思議そうに首を傾げて聞き返す。
「俺が町に降りるときに使っている名前だ」
うっかり口にしたのがまずかった。
「・・・・・・・町、に・・・・」
途端、セトの眼光が鋭くなったのを感じてあわててフォローにまわる。
「さっ最近は行ってないぞ!ほんとだ!」
神に誓って!という王を冷たく横目に、なんとか準備を終える。
足元がスースーしていてどうにも落ちつかない感じもするが、この際しょうがない。

「やっぱり綺麗じゃないか、足。」
セトの腰布の裾を、上に捲り上げながらファラオが言う。
「・・・・貴様・・・」
いっぺん死にたいらしいな?と、
そんな他愛もないやりとりをしながら、首都を後にする。

時間は父王の葬儀が終わるまで。

それまでには戻ると約束をして――




ナイル川を上流に向かい橋を渡る。時折吹きあげてくる風が心地よかった。
平原を二頭で早駆けしながら町を目指して。
ナイルの夕陽がゆっくりと沈んでいくのを見ながら、陽が落ちる前にはたどり着くことができた。


「大きい町なのだな・・」
ぽつりとセトが呟いた。
大神殿に仕える身であるため、首都を離れることはほとんどなく、
辺境の町や村のことなど知る由もなかった。
「ここは大事な貿易拠点だからな。活気があっていい町だぜ」
市場は夕暮れの買い物客で賑わっている。
様々な食材から、日用雑貨まで、いたるものが所狭しと並べられていた。
「へー、これなんか珍しいな」
そう言って手に取ったのは、異国の食べ物だろうか。
「ファラ・・・・ユ・・ウギ!」
何が入っているか分からない様な物を口にするなんて・・
「美味いぞ?」
ほら、とでも言わんばかりに。
「危険・・・です、お控えください。」
眉間に皺を寄せて、訝しげな眼でその手の中の物を見つめる。
「ああ、大丈夫だ。・・・俺には少し耐性がある。」
「!・・」
幼き頃に、薄めた毒をあえて投与して、
それに慣らさせる、と聞いたことはある。
けれど。
自分もいくらか薬や毒の知識は持ってはいるが。
(・・まさか・・・・)
命を落としかねないうえに、相当な苦痛を伴うとも―――

「だが、お前にはないな・・」
すまなかったと、申し訳なさそうに、宿に着いたらきちんとした食事を摂ろう、
そう言って自分に背を向けて、町のはずれにある宿屋に向かって歩いていってしまう。
「待っ・・」
(違・・う・・俺の言いたいことはそんなことじゃ・・・)

「っ・・・・」
こみ上げてくる吐き気に息が詰まりそうだった。

失う、わけにはいかないから・・・

『あんな、子供になんてことを・・!』

そう言ったのは誰だったのだろうか・・・
遠い、記憶――

(思い・・出せない・・・・)