月読4




俺が初めてアテムに会ったのは、俺が五つのころ
あいつが三つになった日のことだった。
王や、父上には互いに妾腹の子供も何人かいたが、
母親同士が仲がいいのもあって、共に遊び、共に学んだ。
時に決闘の相手をしたこともあったが、子供心ながらにその戦略の奇抜さに驚かされることの方が多かった。
アテムの母親は元から身体が弱く、奴が五つになった時には病に伏せそのまま帰らぬこととなった。
それ以来、俺の母が母親代わりとなった。
そう、あの日が来るまでは――






俺が十になった頃、この国はひどい天災に見舞われていた。
大地はみるみる干からび、生命はことごとく失われた。
国内も大狂乱に落ち、民の絶望だけが天を覆った。
「父上!何故ですっ・・何故母上がっ・・」
「セト・・・仕方がないのだ・・・」
「ですがっ・・」
母上が・・祭りの生贄になるなどと・・!
「ラーの巫女は最も神格の高い生贄を必要とする・・」
「っ・・」
今この国で最高位の女神・・
王の正妃が不在であるため、母は自らが犠牲になると申し出た。
この国を救うために――
「このまま日照りが続けば、この国は滅びる・・。もはや限界なのだ・・わかってくれセト・・」
「・・っ」
そんなもの、分かりたくもないし、たとえ母が犠牲になったとしても今の状況がよくなるとは到底思えなかった。
「民は飢えている。・・・何かを示さねばならぬのだ・・」
このままでは、王家に向きかねない怒りの矛先を変えなければならないと・・
そのために母が・・
「くっ・・」
「待ちなさいっセト!」
父の制止も振り切って、母の元へ向かった。

もう時間はそう残されてはいない。
こうなったら自分の手で、明日の祭りが行われる前に母を連れ出すしかない。


「母上っ!」
ゼィゼィと息を切らして、母の自室の扉を開ける。
「セト・・?どうしたの、そんなに慌てて・・」
「母上、今すぐこの国を出ましょう!あなたが犠牲になることなんてないっ・・」
「セト・・」
息を切らして駆けつけてきた我が子を、その胸元に抱きしめる。
「ありがとう・・あなたの気持は嬉しいけれど・・」
これはもう決めたことだから、と苦笑いをして。
「しかし・・」
自分ではどうにも納得出来ぬまま、瞳に涙を浮かべて母の手に縋りつく。
「ヒルデ!アテムを呼んできてちょうだい。・・あと人払いを。」
呼ばれた母の従者が、小さく一礼してその場を下がる。
「・・母上?」
見上げてくる小さな身体をその手に抱きしめながら、我が子と離れることが辛くない母親なんていない。
(あなたを残して逝くのはとても辛い・・けれど・・)
広がりつつあるこの闇を、今抑えることができるのは・・・
「失礼します・・」
従者に導かれ、王子がやってきた。
「こちらにいらっしゃい・・」
母が手招きして呼び寄せる。
母に会えるのはこれが最後だと、奴もわかっているのか瞳には涙が浮かんでいる。
「ごめんなさいね・・二人とも。」
苦しい思いをさせて、と。
遺されていく者には悲しみしか与えられない。けれど。
「これから言うことをよく聞いてほしいの・・」
それから母は淡々と語った。
自分の素姓と、なぜ今自分が犠牲にならねばならぬのかを。



「では、今のこの状態は人為的なものである、と?」
母の話を聞くところによると、今のこの災害は他国からもたらされた干渉のためだという。
闇の力によって引き起こされているこの呪いを断ち切るために。
その生命を捧げ、神を喚ぶと―――
「でもなぜ母上がっ・・」
「それは血のせいかしら・・」
その身に宿す魔力は計り知れないと、誰かが言っていたのを聞いたことがある。
決して表だってその力を振るうことはなかったけれど。
天を駆け、闇を切り裂く白き竜・・その精霊を一度だけ見たことがある・・。
「セト・・あなたにもその血が・・」
俺の知る本当の母の姿は、白い肌に青き双眼、そして銀髪の人ならぬほどにうつくしい人で――
その姿を人には見せてはいけないからと、そうずっと言われて・・
「まさか、・・っ・・・」
自らの手を見つめる。
月光に照らしだされるその手は、輝くほどに白く――
水鏡に映ったその瞳は青く澄んだ光を放っていた。
「・・なん・で・・」
今さっきまでは、みなと同じ肌の色で、何ひとつ変わらなかったのに。
「今までは、私が封じていました。あなたの力を・・」
これからは自分の手で、その身に封じなさいと。
我が一族の血をひく、最後の末裔。
あなたにならきっと、正しき道に導けると信じています・・
「・・母・上・・?」
その魔力の強さ故に、闇に引きずられ魅入られる。
でもきっとあなたなら――
「アテム・・いいえ、次代の王よ。どうか、セトを頼みます」
右腕に俺を抱いて、左腕に王子を抱きしめたまま、

母は最後まで強く、そして優しかった。



翌朝、太陽が昇るとともに、

その生命を

神に捧げて――













(・・っきもち悪・・い・・)
日中当たり続けた陽の光のせいだろうか。
王を追いかけなければならないのに、足が上手く動かなくて、その場に立ち竦んでしまう。
何か今、とても大事なことを思い出せそうな気がしたのに。
母がいなくなった時のことが、一瞬脳裏を掠めた。
でも、それ以上のことがどうしても思い出せない。いなくなったという事実だけが、ただ漠然と広がって。
(なぜ・・だ・・・)
あの時、何があったのだろう。
(くっ・・)
あの時・・


行 か な い で 

『僕が・・』

ひ と り に し な い で

『僕が、そばにいるよ』


手を、
差しのべてくれたのは。





「セト?大丈夫か!」
心配そうにのぞき込んでくるその顔に、あの時一瞬見えた影が重なる。
向けられる瞳はいつもまっすぐで、あの頃と何も変わらない。
「少し、暑さにやられたか?」
ひんやりと、額に触れてくるその手の感触がどこか安心させた。
宿までもう少しだからと、差しのべられた手を取って――
急にアテムがオロオロし始めた。
「セッ・・セト!どこか痛いのか?!」
「・・?何、言って――」
自分の手に透明な雫がポタリと落ちるのを見て、ようやくそれが自らの頬を伝う涙なのだと分かった。

「?!!!」
(っなんだこれは・・っ)

(うわぁ、セトの泣き顔だ・・)

カーッと頭に血が上っていく音が聞こえそうな程に。
思いっきり勢いよくゴシゴシと眼を擦って、その涙を拭う。
「あっだめだ!そんなに擦ったら眼が腫れ・・」
「うるっさいわ!!」
王の言葉を罵声で遮って、そのままダッシュで宿屋に向かう。
「ちょっ!待てってセト!そんないきなり動いたら・・!」
「っ・・」
一瞬くらりと、よろめいたところをその手で支えられる。
「ほら、だから危ないって・・」
掴まれた、腕が熱い。
いや、熱いのは、自分の身体のせいなのかもしれない。
「離せっ!」
バシっと払いのけて、そのまま逃げるように。


(涙なんて・・・)
涙なんてもう、とっくに枯れたと思っていたのに。
母がいなくなったあの時に・・・・


あの時、手を、差しのべてくれたのは――



(お前だったのだな・・)