月読5




先に辿り着いたセトが店中で交渉している。
「店主、宿を一晩借りたいのだが・・」
「はいはい。いらっしゃ・・」
「・・?・・なんだ?」
「あっいいえ!宿ですね?!・・しょっ少々お待ちを・・」
視線を合わせた途端、急にどもりはじめてしまった。
(なんなんだ・・)
その様子を後ろで見ていたアテムがくくっと笑っている。
「何か可笑しいか?」
「いや、・・・・」
本人にあまり自覚がないものだから、こればかりはしょうがない。
普段は神官帽を目深に被っているせいか、きづかれることは少ないが
触れたら柔らかそうな栗色の髪に、スッと切れ長の青灰色の瞳。
たとえ肌の色を変えていたとしても、その端正な顔立ちは褪せることはなく。
唇から紡がれる言葉は、囁くように心地よく耳に響いた。
しかも、時折伏せられる瞼には先程の涙の痕が、赤く潤んでいて。
(・・・それは反則だろ・・)


「・・ウギ・ユウギ!」
「あっ悪い、なんだ?」
そんなことをぼーっと考えていたせいか、話かけられていることに気付かなかった。
「・・食事はどうするのかと、聞いているのだが・・。」
「ああ、何か食べようぜ」
小さく笑いながら、あと酒もな。と付け加えて。
一階の食堂にあるテーブルに案内され、向かい合って椅子に腰をかける。
自分らの他には数人の姿が目についた。
家族でいる者、恋人同士でいる者、それから――

おそらくこの場には似つかわしくない風貌の数人の男たち。
こちらに気づくと、そそくさとその場を離れて行ってしまった。
(・・傭兵、か?)
なんだろう、何かキナ臭い。別に戦争があるわけでもないのに・・。
店中に漂う不穏な空気をセトも感じ取っていたのか、合わせた視線が訴えかけてくる。
いろいろと思う所はあるが、とりあえずは目の前に並んだ夕食を片づけてしまうことにした。

何か適当な物を、と頼んだ割には美味い。
「あ、これ美味い。お前も食べるか?ほら」
そのままセトの口元に向ける。
「・・!いらんわ!馬鹿者が!!」
そんな風に誰かの手によって、物を食べることなんて出来るはずもなく。
「じゃあお前のそれ、くれ」
「・・待っ!・・ユウ・・ギっ」
拒否する声をあげるよりも早く、指を掴まれ引き寄せられる。
「っ・・!!」
そのまま直接ちゅっと食まれる感触に、背筋がビクっと震えた。
奴の舌で指を舐め上げられる、その光景を直視していられなくて、あわてて視線を逸らす。
その様子に楽しそうに目を細めながら、くすっと笑って解放してやった。
「・・美味い、な。」
何か別の意味を含んでいそうなその声色に、肌がカァっと熱くなる。
初めてこの身に触れられた、あの夜のことが鮮明に蘇って・・
「〜〜〜っいいからとっとと食え!!」
勢いよく椅子から立ち上がり、その手を振り払う。
それでなくても、さっきの事が気にかかるというのに。
出来ることならこいつを一人残して、自分はさっさと部屋に行ってしまいたかった。
そんなこと、出来るわけもないのだけれど。




思いがけず美味な食事に舌鼓を打って満足そうに、二人揃って部屋に向かう。
用意されたのは二階の角部屋で、この際、部屋が一緒なことには百歩譲って目をつぶろう。
だが、
(・・っなんで・・こんな大きさ・・)
どうしてか、その部屋には寝台が一つしかなかった。
しかも明らかにサイズがおかしい。
確かに寝台の数までは言わなかったが、一体何を勘違いされたのか。
「・・部屋変えを・・・」
「別にいいじゃないか。これだけ広ければ二人でも十分だぜ?」
それがよくないから口に出して言っているというのに。
「・・では、ファラオはそちらをお使いください。私は下で・・」
予備に置いてあった敷布をその場に広げて座りこむ。
気にかかることもある、このまま寝ずに朝を待った方がいいのかもしれない。
「馬鹿だなおまえ、そんなこと俺が許すわけないだろう」
言うが早いがそのままセトを抱え上げて寝台に放り投げる。
逃げようとする身体を強引に上から押さえつけて
「せっかく店主が気を利かせてくれたんだ・・」
人の好意は素直に受け取るもんだぜ?と口元に不敵な笑みを浮かべながら。
「っはな・・せ!!」
「いやだ」
なにか、おかしい。
なにかとても、目が、据わっている、ような・・。
「・・っさて・・は、貴様!酔ってるな?!」
そういえば注文した酒をこいつひとりでたいらげてしまったのだった。
自分は一滴も口にしていないから。
(確か・・デカンタ一本分・・)
「酔ってない酔ってない♪」
すごく楽しそうにセトの服を剥きにかかる。鼻歌でも聞こえてきそうなほどだ。
「・・馬鹿っやめろ!はなせぇえええ!!」
その行為自体が自身に相当な負担をかけるというのに、
酔った勢いでなどと、当然許せるはずもなく。
「この間は応えてくれたのに・・・」
その声に、肩を落としながら寂しそうに呟く。
「・・あれ・・はっ・・」
(貴様が、らしくもなく・・泣きそうな顔をする、から・・)
魔がさしたとしか言い様がなかった。つい昔のことを思い出してしまって―――
「好きだって言ってくれたじゃないか!」
「・・だっ、誰が!そんなこと言っとらんわ!!!」
だが実際のところ、思いきり拒んでみても、王の手は止まることなく、制止の声は聞き入れられそうにもない。
「っ・・!やっめろ・・っ」

自分はいつでも対等でありたい。ただ守られるだけの存在にはなりたくない。
そして何より、大切な者を失くした絶望を知っているからこそ、これ以上距離を縮める様なことはしたくなかった。
それを認めてしまったら、もう、離れられなくなる。

「・・そういえばおまえ、精霊は召喚できるのか?」
「はっ?!」
急に真剣な話の問いかけに、一瞬戸惑う。
(なんなのだ一体!)
「・・・・石板に、封印された魔物ならおそらく可能だ・・」
王都に奉られた石板の神殿から、それを喚びその場に具現化させる。
本来ならば千年アイテムを持つ神官にのみ許される行為であり、
むやみやたらに召喚してはならないと、きつく教えられている。
「ただ・・・」
「ただ?」
呟かれたその先を、促すように問いかける。
「まだ自身の精霊は呼んだことがない・・。」
「お前ほどの魔力でも呼べないとは・・」
「・・・・分からないのだ。」
ふぃっと視線を逸らして、伏せ目がちにそう呟く。落とされた瞼が微かに震えた。
「分からない?」
「その、精霊の名が―。」
名とは真実を現す言霊。その姿を喚ぶための契約の証。
古代神官文字がまさにそれである。精霊を召喚するためにはその名を紡ぐ必要がある。
自らの精霊を喚ぶことも出来ずに、六神官など務まろうものか。
「・・・・・。」
何かを考え込むかのように黙りこんでしまったその瞳に、優しくキスを落とす。
(強大な力を持ちながら、すべての要職から退いていたのにはそんないきさつが・・)
「・・難儀なものだな・・・」
耳元で囁かれた言葉に背筋が震える。
「・・貴様っ・・酔っていたんじゃ・・」
「あの程度の酒で酔うわけがないだろ」
そのまま耳たぶを甘噛みして首筋に舌を這わせる。
「っ!!」
与えられるもどかしい感触に、思わず口元を手で押さえる。

吐息が、こぼれない様に・・。