月読7




王家の谷

両側の切り立った崖はくり抜かれ、その先に王の奉られる葬祭殿はあった。
いくつもいくつも立ち並ぶ石柱が、そのすべてを支え死者を冥府へと誘う。
月の光も途絶えた暗闇にぽっかりとその入り口を開き、うっすらと灯るタイマツの明かりだけが、その姿を照らし出していた。
時折吹きつける砂の風が、その侵入を拒むかのように。

「・・ここが、王家の谷―――」
自らの足で、この地を訪れたのは初めてのことであった。
適当なところに馬をつなぎ、辺りを見回す。
(・・おかしい、な)
暑さから身を守るために身につけていたマントが風に煽られて暗闇にひるがえる。
夜の静寂にしんと静まり返って、砂の上を歩く二人の足音だけが耳に響いた。


こんなに静かだと、余計に先程のことを思い出してしまう。
(・・なぜ・・だ・・)
あんな風に力を振るう自分がいることを、どこか遠くからただ見ていることしか出来なくて。
己でありながら、己ではない、何か。
かたかたと小刻みに震える腕を、もう片方の腕でぎゅっと握りしめる。
(もし、あの時・・)
止めてもらわなかったら、自分はきっと


「・・ト、セト!」
呼ばれている声に、慌てて顔を上げる。
「っ・・何、か・・」
王の指が自らの唇に触れ、それから、自分の唇にちょんと軽く触れてきた。
「・・?」
「元気の出る、まじないだ」
マナに教わったのだからあまりあてには出来ないかもな、と、そう笑って。
「っ――――!」
なぜか、不意に、涙が出そうになる。
「・・よっ、余計なお世話だ!」
それを振り払うかの様に、王をおいて足早に歩を進めた。
そんな感傷的な感情など、持ち合わせてはいないはずなのに。


「あっ・・待てって!」
神殿の入り口に近づいたその時。
前を歩くセトの先の地面に、暗闇から放たれた矢が突き刺さる。
「!!」
(やはり・・)
嫌な予感はずっとしていたのだ。
あまりにも静かすぎる。
本来ならば、神殿を護衛しているはずの兵の姿もまったく見られなかった。
(無事だといいが・・)
「出てこい!」
王のその声に、待ち伏せしていたのであろう、ごろつき共が神殿の内部から姿を現した。
その中には先程の宿屋で見かけた顔も混ざっている。
数にして十数人くらいだろうか。さすがに多勢に無勢な感が拭えない。
けれど、


「・・懲りない、奴らだ・・」
せっかく命拾いしたのに、と薄く笑いながらセトが小さく呟いた。
ひゅぅっと風が逆巻いて、大気がピリピリと振動していくのがわかる。
「待っ・・」
アテムが制止の声をあげるよりも早く、その様子にあわてて一人の男が口を開いた。
「おっと!動くな!!」
動いたらそいつは弓でドスンだぜ、と王を指差しながら、横にいた一人の男に合図する。
「・・・ちっ」
さすがに四方八方から射られたら、防ぎきれる自信がない。
とりあえず、相手の出方を窺うしかなかった。
命令された男は、袋の中からごそごそと何かを取り出しながら、ゆっくりとセトに近づいてくる。
「・・何・を・・・」
右腕を取られたかと思うと、手首に何か硬い石で出来た手枷のようなものがはめられる。
開いているもう一つの穴に、同じように左手首も拘束された。
一括りに身体の前で両手を繋がれた格好になる。
「何のつもりだ!」
両手を拘束されたくらいで、何になるのかと。
「そりゃあ、特殊な石で造られた魔力封じの枷だ」
「・・魔力・・・封じ・・だと・・?」
(・・馬鹿、な!)
確かに、そういった類の物が存在していることを知ってはいた。
だがそれらは何れも希少価値が極めて高く、こんな連中が扱えるような安い代物ではない。
(どういう・・ことだ・・)
「っく・・!」
生気を吸い取られるかの如く急速に身体から力が抜けて、耐えきれずにがくんと、その場に膝を折る。
(こんな・・・)
「セト!」
思わず駆け寄ろうとした王に、罵声が飛ぶ。
「動くなっつってんだろぉが!てめぇはこっちに来い!折角だからお宝んとこまで案内してもらうぜ」
にたりと笑いながら神殿の奥を指差す。
「・・・・!!」

王の眠る葬祭殿。
確かにそこには、目も眩むほどの金や装飾品などの財宝が、共に埋葬されていることだろう。
(すぐに、殺す気はないってことか・・)
おい、そいつ殺さなくていいのかよ!横から口を挟んだ一人に、宝がめた後でも遅くねぇ、
そんな薄汚いやりとりが聴こえてくる。
この人数を相手に、セトを庇いながらではさすがに分が悪すぎる。
この場に一人で残していくことも、それはそれで不安で仕方なかったが・・。
(機を待つしか・・ないのか・・)

ゆっくりと、神殿の入口へ足を進めた。
「・・心配すんな、てめぇの連れは俺らでたっぷりと可愛がってやるからよぉ」
周りを統率して命令をしていた男とすれ違い様、そんな声が聞こえて。
「何・・だと?・・貴っ様ぁあ!」
「さっさと連れてけ!」

(・・・セト!!)










(・・身体が重い・・)
「・っ・・」
地面に膝をついたまま、荒い呼吸を繰り返す。


音が、まったく聴こえない。
早く王の元へ行かなければならないのに。
何か、とても静かで。暗闇の中に、深く深く意識が潜っていくような。

《・・少し、眠っているといい》
どこからか、そんな声が聴こえた気がして、すべてを委ねるようにゆっくりとその瞳を閉じる。
ぐらりと意識を失ってそのまま前のめりに倒れ込んだ。


「なんだぁ?気絶しちまったのか?おい・・」
ぴくりとも動かなくなったその肌に触れようとした指が。
ふわりと動いた風の振動で、そのまま手首ごと切り離され、ごとりと地面に落ちる。
「?・・ひっ・・あっあっ・・ぎゃああああ!!!」
何が起こったのかを理解出来ないまま、目の前に噴き出す自らの血飛沫を見て初めて悲鳴を上げた。
「・・・汚い手で、触れるな。」
起き上がり、呟かれた言葉と共に開かれた瞳は、深紅を映したかのごとく赤く染まって。
目の前で痛みに呻き、泣き叫んでいる姿を、楽しそうに見つめながら鮮やかに笑った。
「これを嵌めてくれて礼を言うぞ・・」
手に嵌められた枷を唇に寄せながら、嬉しそうに、
ようやく、ここに出られた、と。
「・・・なっなんで、なんで効かねぇんだ!!」
「・・どうせ、ここで果てるお前らに、教える義理などないわ」
ゆっくりと立ち上がり辺りを見回す。恐怖に歪む顔を視界に捉えて溜め息を小さく零す。
(・・つまらぬ世界だ・・)
「案ずるな。もう痛みはない」
そう笑いながら、瞳を閉じて。
その一瞬でその場のすべてを切り裂いた。圧倒的な力で命を奪うことに何の躊躇もせず。
放たれた力は岩壁さえも削り、崩れ落ちた塊が砂煙を巻き上げる。

効いてはいるのだ。
確実に、セトの魔力はその枷によって封じこめられた。
だからこそ、皮肉なことにそれが解放する引き金となった。

(・・我が力には遠く及ばぬ)
もはや人ではなくなったただの肉の塊が、そこら中に散らばって無残な姿を晒している。
おびただしい量の血が、その大地に飲み込まれて、
むせ返るほどの死臭が、どす黒くその場を覆いつくした。
(・・なんと脆い)
「ふふ・・・あははははは!」
返り血にまみれながら、空を仰いだ赤い瞳が狂気の声を上げた。
静まり返った辺りに、その笑い声だけが木霊して。

ひとしきり笑い終わると、ぴたりと動きを止めた。
「そこに隠れている鼠、出てくるがいい」
「・・あーあ、バレてたか」
すぅっと岩陰から姿を現すその様子に、少し驚いた顔をして。
「たかが鼠が精霊を従えるか。・・・面白い」
「あんたもな、・・・ゾクゾクするぜ」
殺すか殺すまいか、お互いそんなことを考えながら、睨みあった視線が絡み合う。



《・・もういい、やめろ!》
瞳の奥から響いてきた声に、愛おしそうにその目を細めながら微笑んで、
嵌められた枷を口元に寄せ、優しく何かを囁いた。
(・・今ひとたび・・眠れ)
次の瞬間、パキィンと乾いた音をたてて鎖もろとも粉々に砕け散る。
「おいおまえ・・次の時まで、預けておくぞ・・・。私も少し、疲れた・・」
もうしばらくはおとなしくしておいてやろう、そんな言葉を呟いて。
「・・?!待っ・・!」
主を失ってゆっくりと前のめりに崩れ落ちる身体を、反射的にその腕に抱き止める。
(・・こいつ一体・・)
腕の中に抱いて、至近距離でまじまじとその顔を見た。
(・・・すげー・・美人だけど・・)
腕の中で瞳を閉じているそのあどけない表情からは想像もつかないほどの
つい先程垣間見せた、狂気じみた圧倒的な力――

「おもしれぇ・・」


運命の輪が廻り始める。


ゆっくりと破滅へと向かって。